たーちゃんについて

2020年2月15日 (土)

もう5年もたったんだ。

昨日、2月14日はたーちゃんがこの世から卒業した日でした。

忘れてたんだけどね、まうさんとchocoちゃんからラインをもらって思い出した。
おぼえていてくれてありがとう。

 

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たーちゃんってこんなに小さかったんだな。くくるんの半分だな(笑)
もう思い出せない。
でも、たーちゃんを思い出すと今でもどんどん涙がでてくるよ。
可愛かったな。大好きだよ。

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たーちゃんがいなくなった日
わたし史上最悪の日だったよ。
そんな日なんて思い出さなくていいや、とおもって。
ごめん、たーちゃん。
でも愛してるよ。



 


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2019年2月15日 (金)

4周忌

昨日2月14日は、たーちゃんの四周忌でした。

もうあれから四年経った。

あの日は土曜日だった。

1周忌はちょっと祭壇をつくったけれど、2周忌からは特別何もしなかった。

今年も何もしなかった。

実は今年も忘れてた。まうさんからたーちゃんへのお供え物をもらって思い出したくらい。

でも、それから…ああ、あの日もこんな良いお天気だったなぁ…と窓の外を眺めながら思った。
あの日も今日みたいにとても良いお天気で空気が冷たくて…
朝、明るくなるのを待ってたーちゃんを抱っこして、最後のお散歩に連れていったなぁ…と思った。
たーちゃんはもう体が動かなかったから、目だけをキョロキョロ動かして最後の景色を目に焼き付けてたな。
お散歩から戻ってすぐに息を引き取ったんだよ。
くくるんと違って、たーちゃんはお散歩が大好きだったから、最後にお散歩出来てよかった。

そんなことを思い出しました。

その時のことはもうリアルには思い出せないのに、その時の悲しい苦しい気持ちだけはずっと薄れることなく残ってます。

あの時、早く時間が経ってくれればいい、そして時間薬が効いて悲しみが消え去り、たーちゃんとの楽しい思い出だけが残ってくれることを望んでいたんだけれど
4年経った今、きっと何年たってもこの悲しみが消えることはないんだな、と悟ってしまった。
そう思ったら悲しくて仕方なくなっちゃったよ。

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たーちゃんのヒラキ。

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やっぱりたーちゃんは可愛いなぁ 自慢の娘です。


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2018年2月14日 (水)

たーちゃん三周忌

今日2月14日はバレンタインデーです。
今現在お勤め&旦那のいない私にとっては関係ない日です。(笑)

お勤めしていた頃は大変だったなぁ。義理チョコ配るのに。

この悪しき習慣がなくなってくれないものか、と毎年思いながらも
独りだけ悪しき習慣を取りやめる勇気もなく
そしてお返しのスイーツの山…
美味しいスイーツは好きなんだよ。でも、超大量生産のお菓子はちょっと苦手。
私は美味しいちゃんと手作り感のあるスイーツがちょっぴりあればいいのよ。
あ、それを知って、お返しに飲みに連れて行ってくれたり、
酒だの酒の肴だのしょっぱい系のお菓子をお返ししてくれる気の利くダンディ上司も何名かおりましたが(笑)。

さて。

三年前のバレンタインデーの朝。7歳だったたーちゃんがこの世を去りました。
もう三年も経つんだなぁ。
三年前のバレンタインデーは土曜日で、今日のようにとてもさわやかな青空でした。

実は一週間前までケロッと忘れてたんだよ。
でもたくが「もうすぐだね」とカレンダーの「14」を指さしていうわけ。
「なにが?」といって、あ、バレンタインデー、あ。たーちゃんの命日だ。と思い出した。

三年前のバレンタインデーは土曜日で、今日のような青空でした。
夜が明けて明るくなるのを待って、たーちゃんを抱っこして最後のお散歩をしたんだよ。
早く早く、明るくなって、早くしないと間に合わない、そんな思いで窓の外を眺めていたんだよ。
たーちゃんはお散歩が大好きだから、なんとか散歩に連れて行きたかった。
最後の散歩、嬉しそうだった。
もう目しか動かせなかったけれどすごく嬉しそうで。
家に帰ってきて、すぐに息を引き取りました。

あーでも思い出すと今でも胸が痛くて、涙が溢れてくるんだよ。

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たーちゃん、ちっちゃい。

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たーちゃんかわいい

私にとって、命日はそれほど重要じゃなくて。
覚えて無くてもいいや、と思ってるの。

だから、今日は特別何もしません。
いつも通り、普通にお線香を上げるだけ。

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そして、くくるんがこれから先もこうやって静かに眠れる日が長く続くように見守ってね、と
お願いするだけです。

でも、夕べからたーちゃんと暮らした日々を思い出しています。
それだけで良いような気がします。


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2016年5月 1日 (日)

たーちゃんについて《その後…》

H27年3月15日(日)快晴

朝目が覚めて、となりに眠ってるたーちゃんを触ってみた。
もうすっかり冷たくなっていた。
お顔をみると、うっすらと目をあけている。夕べのまんまだ。
なんとか目を合わせようとしたけれど、やっぱり目は合わなかった。
私、もう酔っぱらってなかったけどね、現実味があまりにも無くて、これって現実なんだろうか、と思った。
自分でも信じられないくらい冷静にたーちゃんを客観的に見つめてた。
何度も何度もたーちゃんに呼びかけるけれど、やっぱりピクリとも動かないんだよね。

昨日のうちにKam動物病院へ電話を入れて、先生にたーが死んだことを報告した。
先生がなんて言っていたか覚えてない。
でもね、なんでそういう話しになったのか覚えてないけれど、
死んでしまうとどうしても目が開いてしまうんだって話しをしていた。
接着剤でくっつける人もいるんですよ、って言ってたな、とぼんやり思った。
目なんて開いていたっていいじゃないね。なんで閉じさせたいんだろう、と思った。

たーちゃんには「元気になったら着ようね」とまうさんが買ってきてくれた
ピンクの可愛いお洋服を着せていた。生きている時は着ることが出来なかったけど…
そして、お気に入りの私のフリースピンクガウンに乗せてまうさんが買ってきてくれた白いベッドに寝せ
周りをタクの親友のりょーたが持ってきてくれたお花で飾っていたのだけれど
今朝、まうさんもお花を買ってきてくれたので、それも足すと、さらにぱーっと華やかになった。
私の大好きな黄色いお花。
黒いたーちゃんによく似合うと思った。

そして、私とまうさんとタクの三人で、車に乗って火葬業社へ向かった。
たーちゃんのお洋服や、お気に入りだったぬいぐるみの中から
ほんの少しだけを家に残して、すべて一緒に燃やして貰おうとそれらも持った。
それと、たーが寂しくないように私達家族みんなの写真も持った。

たーちゃんを火葬するに当たって
10年くらい前に、へちゃ(前住猫)を火葬したお寺さんにお願いしようか、とも思ったけれど
個別に火葬するには相当な費用が掛かることが解った。あれ、そんなに高かったっけ、とビックリした。
恥ずかしながら…ここ数年間のたーちゃんの医療費に何十万も掛かっていたので、あまりお金がなかった。
そんなとき、妹の話を思い出した。
昨年妹のところで可愛がっていたウサギが死んでしまって
お寺ではなくペット火葬業社に頼んだんだ、と言っていたっけ。安かったけれど、丁寧でとても良かったよ、と。
同じ業者ではないけれど、それも有りか、と調べると費用はお寺さんの約半額だった。
車に火葬できる窯が乗っていて、希望の場所に来てくれて火葬してくれる、ということだった。
もちろん、持ち込んでお任せで火葬して貰うこともできる。
私達は、こちらから出向くことを選んだ。どっかに来て貰ったら、2度とそこには辛くて行けなくなってしまうから。
そこは、うちから車で15分程度。kam動物病院に行く途中と言って良いような場所にあったけれど
目の前を通っても通り過ぎちゃうような、小さな小さな会社だった。
表に火葬する窯をつんだ黒い車が停まっていた。
中に入ると祭壇があり、洋風の棺が用意されていた。
そこに遺体を安置して下さい、とおっしゃいました。
え、ベッドから出すんですか?このままではいけませんか?と聞いてみたけれど
環境保全のためにポリエステルでできたベッドを一緒に燃やすことは出来ないんだって。
写真はOK、ぬいぐるみもギリOK。でも、とても申し訳なそうに、
お気に入りのフリースピンクガウンは大きすぎるのでお持ち帰り頂けますか、と言われました。
そんなそんなそんな…これはたーのいちばんのお気に入りなんです。
なんとか、なんとか持たせたいんです、と半泣き状態でお願いすると、気持ちを汲んで下さって「じゃ半分だけ…」ということで
はさみでガウンを半分に切ってくださいました。
半分になったフリースを受け取って、どうするの、この半分。この半分を見る度に悲しくなるじゃない、捨てることも出来ないし…
と複雑な思いでいたら
まうさんが「ふゆぅとたーちゃんと半分ずつじゃん?」と言ってくれて、あ、そうか、と気持ちがすーっと楽になった。

たーちゃんを祭壇に安置して、一通りお祈りをしてから
たーの身体を火葬する為の車に移した。

あのね、実はね、たーが死んでしまって
たーの亡骸を目の前にしても、どこかで少し「これはたーじゃない」という気持ちがあった。
この身体は、たーのお洋服みたいな物。たーの魂はもうこの中に無いから。

私ってへんちくりんでね。
小さな頃から、「その人ってなんだろう?」とよく考えていたんだ。
何を持って「その人」っていうのかな、って。
頭・身体・腕・足・髪の毛…それぞれのパーツは
「○○さんの頭」とか「腕」とか「顔」でしかないわけだよね。
両足が付け根から無くたってその人だよね。じゃ、どれだけパーツがくっついているか?
いやいや、首がなかったらもうその人の身体でしかない。じゃ、頭がその人なの?いやいや、それも違う。
じゃ、何をもって“その人”なのかな、って子どもなりに考えたた時
やっぱり心・魂なんだよな、生きて心と魂がある事が、その人なんだな、と気がついたの。
うまく説明できないけど…例えばこのたーの身体に、他のワンコの魂が宿ったとしたら
やっぱりそれはたーじゃないんだよね。

だから、たーが死んでしまって
たーの肉体を愛おしく撫でてもね、たーでは無くなったこの身体だけを
ずっと私のそばに置いておきたいとは思わなかったんだ。
私がそばにいて欲しいのは、たー自身だから。
だから、たーがいなくなってしまったのなら
この身体がどんどん醜く(ひどい言い方だけど)なってしまう前に
お空に返したかった。冷たいのかも知れないけど。

私は小さな頃から色々な動物を飼ってきて
当然色々な動物の死と直面してきた。もちろんすべてを覚えているわけではないけど。
それで学んだのが、魂が抜けた身体は、秒単位で変化していくんだということ。
いちばん感じたのが、前住猫へちゃの遺体だった。
へちゃは死んでしまった時と同じように、身体を横たえて置いておいたので
冷たく固まった時、下になった部分が、まるで板のようにぺっちゃんこになっていたの。
お顔までもがぺっちゃんこになっていて、それが可哀想で悲しくて仕方がなかった。
たーはそうならないように、たーが良くしていたスフィンクスのように座った姿で
そろえた前足の上に頭を乗せて身体を安置した。
それでもやはり生きている時とは違うから…
少しでもたーが可愛いうちに、早く肉体を神様に返したかったんだ。

たーの身体を炉に入れ、頭にひとつキスをしてから身を引くと
業者さんが「毛は切らなくていいですか?」とおっしゃいました。
「いや、この子は絶対切られるのいやがると思うから、切らなくていいです。毛なら、
うちに帰ればいっぱいあっちこちにくっついているから」
と返事をしました。
そして、戸を閉めようとした時…
ぎゅぅっと胸が締め付けられて、「もう1回だけ良いですか」ととっさに口を突いて出てしまいました。
「ゆっくりお別れして下さい」と業者さんがおっしゃいました。
最後にもう1度だけ、たーの身体に頬を寄せて沢山キスしました。
“これはたーの洋服みたいな物”と思いながら、やっぱり愛おしいたーの身体を
もう2度と触ることが出来なくなる事は、とてつもなく辛いことでした。

扉を閉め、二時間後だったかにもう一度いらしてください、とのことでした。
皆さんでお骨を拾っていただきます。と。
「それ、いやだなぁ、辛すぎだなぁ…」と思わず言ってしまったら、業者さん、困った顔をなさっていました。

数時間後、もとの場所に戻り中に入ると、たーの骨が並んでいました。
業者さんが、こっちから頭・背骨・前足・後ろ足………と説明して下さいました。
涙も出ず、案外冷静にそれを聞くことができました。
骨は白かったのだけれど、背骨が一部黒く焼け焦げていて、業者さんが「ここが病巣だったんでしょうね」とおっしゃいました。
足先を見たら、爪がきれいに残っていました。
たーは私の膝に乗るのが大好きで、私はたーを膝に乗せてくつろいでいた時
よくたーの爪をいじっていました。
たーもそれが気持ちよいのか、じっといじらせていました。
確かに、これはあの可愛い愛しいたーの爪だ。
「爪は灰にならなかったんだね。」と爪を手のひらに乗せたら、涙が溢れました。
すると業者さんが「お持ちになりますか?ストラップ型のカプセルとかありますよ」とおっしゃったので…
身体の一部だけを持ち歩くなんて事をしても良いのか
すごく迷ったけれど、結局カプセルを購入して爪とほんのちょっとの骨を入れて貰いました。

たーの骨は片手で持てるほどのちいさな白い陶器の器に収まりました。
ピンクの薄い紙製の布に包まれたあと、トッピングにと可愛らしい色の造花を選ばせて下さいました。
それと革製のネームプレート。普段呼んでいたように、たーたんかたーちゃんと書くか、
本名のサラと書くか迷っていると「二つどうぞ」と2つ下さいました。
そしてまうさんが「たーたん」名付け親のタクが「サラ」と書きました。

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《「サラ」「たーたん」両方書きました。》

(業者さんね、とっても良かったです。とても親切で、良かったです)

うちに連れ帰り、
骨壺は、たーが病気になるまで着ていたお気に入りの洋服を着せ、ピンクガウンでくるみました。
そしてへちゃのお骨と一緒に、一緒に火葬することの叶わなかった例のまうさんが買ってくれた白いベッドに納めました。

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《たーちゃんの祭壇。ごっちゃごちゃ。
お気に入りのぬいぐるみがいっしょだからね。》

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《じつは、たーちゃんの写真はずっと飾れずにいたんだけど…
一周忌にあたり、飾ろうかな、写真立て買おうかな、と考えていたら
Cさんが一周忌に合わせて送ってくださった。なんで解ったんだろ?!?!どっかで聞いてた??とおどろいた(笑)。
写真立てには、私の1番お気に入りの写真を入れました。
私を見つめているたーちゃんの写真。このとき、わたしもたーをみつめていました》

その日の夜、夕食を作る元気がなかったので
「今日は外食して、たーちゃんに献杯しよう」とみんなを誘って食事に出ました。
本当のことを言えば、どこにも行かず食事もしないで家に籠もって飲んだくれていたかったけれど
すんみぃ(父)を心配させたくなかったのです。

すんみぃは、たーたんが我が家にくるまで動物を飼うことをものすごくいやがっていました。
もともと動物が好きではないという事もあるけれど、いちばんの理由は
死んだ時に私が嘆き悲しむのを見たくないから、ということだったと思います
小学生の時飼っていたダックスフントが交通事故で死んだ時は、もう2年間くらい泣いていたり
へちゃが死んだ時も、しばらくの間解りやすく落ち込んでいたので、それをまた見たくなかったのでしょう。
いくつになっても娘は娘ですからね(^_^;)

すんみぃは、登校拒否していたタクの為にたーちゃんを迎え入れることにはむしろ積極的だったけれど、
私がたーたんを可愛がる度「おまえ、へちゃ(たーたんのこと)が死んでも絶対悲しむなよ。俺はそれがいやなんだよ」と
何度も何度も言っていました。
だから私は無理して、すんみぃに「心配ないよ」と気丈に振る舞いました。
お酒を飲みながら、皆で「大変だったね」という話しをしたんだと思います。

この日を最後に、同居している、すんみぃ、私、タクは
くくるんが我が家に来るまでの何ヶ月もの間、不自然なくらいたーちゃんの話しを全くしませんでした。
みんなそれぞれ、思い出すことが辛かったんだと思います。

翌日、月曜日。仕事に出ました。
同僚には迷惑を掛けてしまって申し訳なかった。
気遣ってくれる人、何も言わない人、色々だったな。
仕事をしている時は気が紛れるのだけれど、帰路につく道々が辛かった。
家に着くと自転車を庭に停めながらベランダを見上げるクセがついていて、いつもつい見上げてしまって
たーがベランダにいないこと、玄関を開けてもたーがクンクン言わないこと
階段まで行ってもたーが二階の踊り場に居ないこと。たーがいないことを思い出してはどん底に突き落とされる思いがした
…それが毎日何度も何度も。
家族と過ごしている時は、勤務中同様気が紛れるし、たーの話しを一切しないから大丈夫…
でも一人で居ると、もうどうして良いか解らないのです。
そして、ネットにふけるわけです…何かを求めて。
でね。とある時。とある女性専用掲示板で
私がたーのことを投稿した記事で、一緒に泣いてくれた方のわんこが亡くなったと知りました。
一気に胸が苦しくなって…私には何も出来ないのに(自分さえ救えないんだから)個人的なメッセージを送っていました。
それからCさんとのやりとりが始まりました。

たーが死んで、1ヶ月、2ヶ月…3ヶ月と経つと、周りはもう私が立ち直ったと思うようでした。
そろそろ新しい子迎えないの?とか、保護犬などを勧めてくる人も何人もいました。
そりゃ、笑うこともあるし、普通の生活をしているけれど
なかなかたーのいなくなった生活にはなれなくて、どれだけたーに依存しているのかを思い知ったんだけどね。
日が経つにつれ、未だに落ち込んでいるということを表に出しづらくなってきた。
それは家族に対しても同じだったの。
そんなとき、まうさん意外にはCさんだけが私の気持ちを解ってくれたし
弱音を吐くことができました。Cさんの「私も同じ気持ちだから、辛くなったらいつでも話して」という言葉にどれだけ気持ちが楽に

なったかしれません。
これはCさんの大切なちぃちゃんと私の大切なたーちゃんが
彼女たちがいなくなっても私達が頑張って生活していけるために用意してくれた出会いなんだな、と
感謝しました。Cさんとのやりとりがあったから…

と、くくるんとの出会いに続いていくわけです。

H28年5月1日。

たーがいなくなって1年と2ヶ月半。。
これまで、たーを懐かしく思い出だすことが何しろ辛かった。
たーが、どんどん思い出になってしまうことで
私の目の前からだけでなく、心の中からもいなくなってしまうような気がしていたんだと思う。
でもね、決してたーが私の中からいなくなることはないと思えるようになった。
リアルに思い出すことができなくなっても、それはそれでいいんだ、とやっと思えるようになってきたよ。
だからたーを懐かしく思い出しても、以前のようなただただ苦しい気持ちとはちょっと違ってきました。
そんな風に考えるようになったのは、くくるんが私達のところにきてくれて
くくるんが、どんどんどんどん私達を好きになってくれて
どんどん私達家族の一員になってきたことも大きいんだと思います。

もともとは、たーの闘病記、たーの生きた証を残すつもりで始めたこのブログ。
ずいぶん時間が掛かってしまったけれど、たーちゃんのことをきちんと書き記したことで
私の気持ちも整理がついた気がします。
それでもね、たまに
くくるんと楽しく過ごしている時に「なぜこの楽しい嬉しい瞬間に、たーも一緒にいないのかな」と
悲しくなることもあるんだけどね。

輪廻転生
くくるんはたーかもしれないし、へちゃかもしれない
たーはへちゃだったかもしれない、ジローだったかもしれない。ちびだったかもしれない。うりちゃんなのかも
どりちゃんだったかも…えびちゅなのかも、ごんたかもしれないし、ぺるちゃんかも、まうちゃんだったかもしれない、どるちゃんか

も、びびなのかもしれない、ちゅんちゅんなのかもしれない、タマかもしれない、シロかも、うさこかも。
面白がって、同僚とそんな事を話していたら
同僚曰く「ってか、うちの息子って昔すごく可愛がっていた猫かも(笑)彼を見ているとそんな気がしてならんよ」なんて
半分まじめに言ってたよ。
わたしたちのところにやってくる魂って、絶対決まってるから
だから
いま私達と一緒にいてくれる、くくるんが抱えた魂と一日一日を大切に生きていかないとな、と思っています。。
わけわからんね(笑)。別にね私、スピリチュアルな人ではないんだけどね。
つきつめて、つきつめて行き着いた正直な気持ちなんだなー。

というわけで、今後もふゆぅと


くくるんをよろしくお願いします。

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それにしても、このお嬢さん。やっぱり座り方がへんでしょ

2016年3月23日 (水)

たーちゃんについて《最後の4日間》

※ほぼ当時の殴り書きの日記原文なので読みづらいです。

H27年2月11日(水)

11:00AM
先生から悪夢のような余命宣告を受けて帰宅後、水分・フードあげ、オムツを替えると少し眠る。
目が覚めたようなので「お散歩行く?」と声を掛けると
目がらんらんと輝く。また抱っこで少しだけ歩く。
たーちゃんに景色が見えるように抱っこして歩くと、頭だけであっちこっち見ていた。

15:00
様子がおかしい。前足は動くが、息が荒く
時折息が止まるような…話しかけると、目を大きく開いて反応有り。
沢山たーの頭にチュゥをして「たーちゃん、チュゥして」と顔をたーの口に近づけると、ぺろりとなめてくれた。
いつもそうしてくれていたように。

17:30
キュンキュンと身体をよじゆってこちらに来ようとする。
抱っこして上げると,おとなしくなった。
しばらくしてからタクと交代する。
オムツを替え、眠る。息荒いけれど、前足はまだしっかり動くから大丈夫かな。
水はほとんど飲まない。
1秒でも長く一緒にいて欲しい。
でも苦しいなら早く終わって欲しい…そんな気持ちが交錯する。
でも…たーたんが死んだら、きっとこんな気持ちを持ったことを
すごく後悔するんだろうな。

※(前庭疾患の時はすごくいやがったオムツだけれど、感覚がないからか
まったくいやがらなかった。)

20:00
落ち着いて見える。
ペースト状の缶詰のごはんを見せるとがっついて食べる
元気?じゃないね。ステロイドのせいね。ステロイドは食欲が増すからね。
おいしいね。よかったね。
前足、右はしなやかにうごく、左はつっぱる…
麻痺が上がってきたんだな…マッサージをしようとすると痛がって噛みつこうとした。
どんどんうごかなくなるのかな。
正気ではいられない。いやだ。こわい。
逃げたい!けど、逃げないよ。たーと一緒に戦うからね。
お母さんだから…2ヶ月だったたーを私が育てた。

21:00
オムツを替え、摘便して座薬を入れる。
やはりもう上のほうもだいぶ痛いようだ。
目だけで私を追う。
前足、まだ動く。どんどん弱る。
そっと撫でてやると、嬉しそう。絶対嬉しそう。
一緒に頑張ろう、声を掛ける。嬉しそう。
お母さんいるからね、ねんねしなさい、というとキョロキョロ目で私を見つめる。
やっぱり世界一かわいいワンコだ。
夜中、私がうとうと眠ってしまいそうになると、今まで聞いたこともないような痛々しい声を上げて鳴いた。
口を大きくぱくぱくさせて。
まるで、「お母さん眠っちゃいや!」と言っているようだった。
なでなですると、落ち着く…の繰り返し。

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がんばれ!たーちゃん。
(下のピンクは、たーのお気に入りの私のフリースガウン)

※(この日の夜から、私はほとんど眠りませんでした。
たーちゃんと過ごせる時間はもう残り少ないから眠っている場合ではない、という気持ちでいっぱいだった。
そして、眠っている間にたーちゃんが逝ってしまうことを恐れたのと、睡魔に襲われてうとうとしても
たーちゃんが私を起こすから…。
そして、この日からたーちゃんの写真を撮りまくって、動画を撮りまくりました。
もう可哀想な写真しか撮れないけれど、生きているたーちゃんを撮れる時間はもう残り少ないから。
この頃はあまり普段のたーちゃんの写真を撮っていなかったよ。すごく後悔した。

そしてね、私は生まれて初めて精神的なことで食べものが喉を通らなくなった。
喉を通るのは、まうさんや妹が買ってきてくれた、ほんの少しのヨーグルトとプリンだけ。
ヨーグルトやプリンはたーちゃんと一緒に食べることが出来るから私も食べることが出来た。
カロリーは酒でとった。本当はいけないことだけれど、この日から、とても素面ではいられない弱虫だったの。
たーが死んでしまうまでずーーーーーーっと絶えず酒を飲み続けた。
当然買い置きの酒は飲みきってしまったけれど、買いに行く時間もなかったから
「本当は止めるべきなんだろうけど」といいながら、まうさんが酒を差し入れてくれた。
まうさんに申し訳ないと思いながら、私にお説教したり止めたりせずに見逃してくれた事、感謝したんだよ。

この日、夜遅くなると、もうどうして良いか解らなくて
親友に電話をしました。親友は、言葉がないと言いながら一緒にずっと泣いてくれました。私の気持ちが落ち着くまで
ずっとずっと電話を切らずにいてくれました。

長い長い夜の始まり…
ネットサーフィンしながら、この置き場のない気持ちを慰めて、何かしらの答えを探した。)

2月12日(木)

5:30AM
まだ前足は動く。でも私が頭を持ち上げようとすると悲鳴をあげる。
たーの頭に手を置いたままウトウトすると、私の手を舐めて私を起こす。
お水、欲しいのかな?でももう上手に飲めないみたい。
脱脂綿に水を含ませて、口の脇から入れてやる。
そして、目も閉じられないみたい。乾燥しちゃうから、手で目を閉じてもすぐにまた開けてしまう。

7:00
まうさんが出勤前に寄ってくれた。
玄関の開く音に反応して、声にならなかったけれど吠えた。
オムツを替える。
血便。ステロイドをチーズに忍ばせて、口元に持って行くと
だまされて呑み込んだ。

口の中が白い。日中は安らかによく眠る。
ヨーグルト、チーズよく食べる。
夕方、水を飲むと痛みを感じるのか、声にならない声で鳴く。
前足、まだ動くけれど、ずっとつっぱったまま。
動かすと痛む様子。体勢はまったく変えられない。こわい。死が近づいている。

PM

何か少し安定した感じ。
AMにはまったく食べなかったドッグフードをぺろりと食べる。よく眠る。
キャンキャン言うのはやはり私を呼んでいる。
尿が赤く、かなり臭う。目をキョロキョロ動かす。
安定していたので、ほっぽりっぱなしの、すんみぃの夕食を作りに30分ほど下に行ったら
上で遠吠えしていた。
姿を見せると、明らかに喜んでいる(頭をうごかし)

21:00
明かりを消し眠る。

23:キュンキュンで起こされる。

2月13日(金)

6:50頃オムツを替える。尿がとても臭い。色も赤く、濁っている。
たくが出勤前に、いつものようにたーの頭をわしわししたら、たーは痛みで思わず悲鳴を上げ
噛みつき、タクの手からは血が出ていた。タクはショックを受ける。たーは全身が痛いんだから…そういってるのに…
その後は急にぐったり。
眠っているのか、力が出ないのかわからない。まぁ…弱っているよね。
朝、まうさんが部屋に入ってきた時すごく嬉しそうだったけど
やっぱりだめなのかな。

9:50 病院に電話してみる。
昨日午後からちょっと調子がよい、食欲有り麻痺もあまり進んでない。
機嫌も良いし、よく眠れる。口の中の色ももどる。
他の病気の可能性は?例えば、ヘルニアとか。ヘルニアなら今すぐ手術が必要では?
尿のことがきになる。他の病気で死ぬのでは?

※(以上のことを聞いたみたい。この頃ほとんど眠っていなかったからか、精神がおかしかったからか
酔っぱらってたからか、実は、全然覚えてない。今読み返してみると、すごく矛盾してるよね。
もうだめなんだね、と書いているのに、ちょっと後には希望を持っていたり。やっぱりおかしかったんだなぁ。私。

先生がいうには、軟化症が止まったとは考えづらい。もし私がいうように軟化症が止まってヘルニアだったとしても
今の状態では手術に耐えられない。内科的なフォローをして体力をつけないと、とのこと。
いずれにしろ、明日まで様子を見て、軟化症が進行しているようならそのまま。調子が良ければ病院へ、とのこと。

電話のあと、とても悪い。
水飲まない、フード食べない、息が荒い。

16:00
息がしづらい。意識はしっかりしている。前足はしっかりうごく。たーの身体が動かないようにタオルケットでぐるぐる巻にして
ずっとだっこ。

20:00
もう前足は感覚ないみたい。何をしても痛がらない。息も弱い。名前を呼ぶと少しだけかすかに答える。

21:30
久しぶりに居間に下りる。もう首から上しか感覚が無いが、意識ははっきりしているので
みんなを見回す。
この子は居間が大好き。みんなで過ごすのが大好き。水、よく飲む。

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最後の晩。みんなと一緒に居間で過ごしました。
もう首から上しか感覚がないので、痛みからは解放された様子でした。
久しぶりにみんなと過ごすことが出来て、とてもうれしそうでした。

たくの友達のりょーたも来てくれました。

※日記はここで終わっています。
もうこの時、たーはあと数時間でいなくなるんだな、とボンヤリ思いました。
まうさんに連絡をして、うちに来て貰いました。たーちゃんね、きっと朝まで持たない。そういって。
そして、一晩中たーを抱っこしていました。
たーが息を引き取る瞬間までたーの目を見ていたかったから。
もう、かすかに息をしているだけだったから、朝までもたないだろう、そう思っていたけれど…

H27年2月14日(土)最後の朝。

夜が明け、どんどん空が白み始めてきました。そうだ、がんばって!もう少しがんばってくれたら
一緒に最後のお散歩に行こうね。
そうたーに声を掛けて、早く明るくなって!早く、早く。そんな気持ちで朝が来るのを待っていました。
7時くらいだったかな、やっと明るくなってきて「たー、お散歩いこか!」そう声をかけると目が輝いているように思いました。
たーはお散歩が大好きだから、嬉しいに決まってる。
たーを毛布にくるんで、最後のお散歩に出掛けました。
まだまだ寒い2月の朝だったけれど、とても良い天気でした。
たーは、目を大きく見開いて、一生懸命景色を眺めていました。よかったね、気持ちいいね。よかったね。
お散歩行けて、良かったね。
そうたーに話しかけました。

そして部屋に戻り…
8時過ぎ。
私はどうしてもお手洗いに行きたくなってしまって。
まうさんに抱っこを変わって貰って、急いで下へ。
急いで戻って、まうさんからたーを受け取ると、首がくたっとしてたーが私を見ない!
「たーが死んじゃった!!!!!」とっさに叫びました。
まうさんが慌ててたーをのぞき込みました。
「大丈夫、ふゆぅ、まだ生きてる!!今、ベロを引っ込めたよ!」
見ると、たーの目がまた力を取り戻しました。
「まうさん!急いでタクを呼んできて!」
この時、多分タクはこの現状を受け入れられなくて(恐かったんだと思う)自分の部屋に籠もってました。
タクが私の部屋に来た瞬間、タクを待っていたかのように、またたーの目に力がなくなり…
たーの身体が、砂のように私の腕から滑り落ちました。
今度はどんなにたーの名前を呼んでも、もうたーは私を見ることは有りませんでした。
8時20分くらいだった。時間…前は覚えていたのに、今は覚えてないの。

可愛い可愛い可愛いわたしのたーちゃん。とうとう死んでしまった。
いなくなっちゃった。

ひとしきり泣いて、妹に連絡を入れました。

すぐに妹が子どもたちを連れて来てくれました。
そして、タクの親友のりょーたもまた駆けつけてくれました。

犬嫌いのすんみぃは…たーのことをそれほど可愛がっているようには見えなかったけれど
(私がいなければ、さんぽやえさやり、トイレの掃除なんかの最低限の面倒はちゃんと見てくれたけど)
「かわいそうにな…」とたーを撫でながら、涙をこぼしていました。そんなすんみぃを見ながら、
すんみぃもたーを可愛く思ってくれていたんだなぁ、とボンヤリ思いました。

まだ温かいのに、もう生きていない…ということがなんだか信じられないでいました。
なにをどう考えて良いのかわからなくて、ぼーっとしていたのよね。
この数日間、たーと一緒に、私も逃げずに一生懸命生きた。燃え尽き症候群。

たーの亡骸を撫でながら部屋でぼーっとしていると、外からは色々な音が聞こえてきて
いろんな生命がこの世で活動しているんだな、とかどうでも良いことを考えました。
つまりね、こんなに沢山の生命がうごめいているのに、なんでたーの命だけ終わってしまったんだろう、とか
たーが、たーが、たーが、死んだっていうのに、私にとってはとんでもない出来事なのに!!
なぜかみんなにとっては、何気ない1日なんだ、たーが死んだのに、なんでこの世は普通に回ってるんだよ…とか。
考えてたなぁ。

たった7年しか生きられなかったたーちゃん。
たーは幸せだったかな?
温かいお布団の上で最後を迎えることが出来た。それだけでも幸せなのに
大好きなおうちで、大好きな人の腕の中で、みんなに看取られて、最後には大好きなお散歩にも行けた。
苦しくて痛かったけど、死に方じゃなくて、あなたの犬生は幸せだったかな?
幸せかどうかなんてぜんぜん私には解らないし。ちゃんと教えてくれなくちゃ解らないよ、
とか、考えてたなぁ。

たーの遺体は、まうさんがちょっと前に買ってくれた犬用ベッドに安置しました。
たーちゃんはもともと私と一緒に眠っていたから、いわゆるベッドを持っていなかったの。
でも、後ろ足が麻痺してしまって、私が仕事に行っている間ケージでお留守番してもらうことになったので
ケージにセットするために買って貰ったの。使う間もなくたーは死んじゃったけれど。
たーは私のフリースのガウンが大好きだったんだ。だからベッドの上にはそのフリースを敷いてあげたよ。
たーへ私から最後の贈り物です。最後にしてはショボいけどね。

少し気持ちが落ち着いてから、ペット火葬業社に電話を入れ
翌日の15日(日)に火葬をして貰うことになりました。

この日、たーと一緒に眠りました。たーの肉体と一緒に眠るのは最後だったけれど
悪夢のような4日間、一生懸命戦ったから。燃え尽き症候群。
疲れ切っていたので、私も死んだようにぐっすり眠ってしまいました。きっとそれでよかったんだと思ってます。

2016年2月14日 (日)

たーちゃん一周忌。

Img_1620557748465042

今日、2月14日はたーちゃんの命日です。
あれから1年がたったよ。
昨年の2月14日は、寒かったけれどとても良いお天気でした。
夜明けを待って、たーちゃんと最後の抱っこ散歩をした約2時間後
たーちゃんは眠るように息を引き取りました。

この写真ね、1番好きな写真なの。私をじーっと見つめている写真。
私の携帯の待ち受けになってます。
美しいワンコでしょう?自慢の娘でした。

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普段は、へちゃ(約25年生きた猫)と一緒に、2階の私の部屋に安置しているんだけど
今日はみんなの集まる居間に祭壇を作りました。
まうさんが、お線香やらお花やらお供えやらもってきてくれました。

昨年、すぐに駆けつけてくれたタクの親友、りょーたもお花とお供えのお菓子をもって
来てくれましたよ。ありがとう。
みんなで薔薇の香りのお線香をあげました。

な~んてことは、この方にはあまり関係ないようで

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なむなむしているリョウタの邪魔をするわけです。

でもね、このあと遊んでもらったよ♪

たーちゃん、くくるんを見守ってね。


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2016年2月11日 (木)

たーちゃんについて。《そして骨髄軟化症へ》

つづき…

(ほとんど当時の日記原文なので読みづらいです。少し書き足した部分もあります)

脊髄梗塞と診断され、あとは回復を待つばかり。
の、はずでしたが…

H27年2月4日(水)
朝、特に変わりなし。
夕、特に様子に変かはないが、カリカリ食べず。やわらか手作りご飯はもりもり食べる。
23:30頃、触ろうとしたら、またキャン!という。

2月5日(木)
夜中、ペットシーツにきちんとおしっこをしていた。
よろつきあり。右?元気なし。
あまり歩きたがらず食欲無し。
夕方、えさを食べようとしたら、前足に力が入りすぎたのか、逆立ちのように前方にひっくり返りそうになり
驚いたのかしばらくしょんぼり。
えさは柔らかくしたものをほぼ完食。
やはり痛いようで、身体を触ろうとするとキャンッ!と鳴く。
あまり歩きたがらない。ふらつき、足のもつれ有り。

2月6日(金)
夜中1回トイレシートでおしっこ。
かなり痛む様子で、明け方気がつくと部屋の隅に隠れていた。様子がおかしい。

朝、食欲有り。柔らかフードをもりもり食べる。
あまり痛がる様子はない。
手作りご飯をもりもり食べる。
左足はけっこう動く様子。右前足、少し動かしづらい?
不自由ながらも結構動き回り、リラックスした様子でよく横になっている。

夕方帰宅すると、下半身が動かなくなっている。
前回は動いていたしっぽもまったく動かない。一気に胸が締め付けられた。不安で頭が真っ白になった。
こんなことで電話しても良いだろうか、と迷いながらも、心配で心配で少しでも安心したいと
Kam動物病院へ電話した。
たーちゃんを診て下さった院長のI先生は今日は非番だということで、他の先生が対応して下さった。
「どんどん回復すると聞いていたけれど、このようにまた後退することがあるんですか」と聞いた。
先生は、様子を診ていないのでなんともいえないけれど、
一般的には脊髄梗塞という病気は回復期に、そんなにすごく後退することはない。
ただ、多少動くようになって嬉しくて動きすぎて
一時的に少し疲れることはあるでしょう、そういう時は、また少し後退しているようにも見えるかも、ということでした。
さらちゃんはちゃんと回復していたので…軟化症なら回復することはないので…
考えられるのは、また他のところが詰まったか…
ただ、軟化症に移行したと言うことも否定はできない
という、なんともさらに不安になるようなお話しだった。

たーちゃんを見ながら電話をしていると、自分に話しかけてるのかな?と思ったのか
ニコニコしながら下半身をひきずって近づいてくる。
どうかどうかどうか…明日になったら、また回復していますように…
これが、一時的なちょっとした後退でありますように…

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《電話をしている私をニコニコ見つめるたーちゃん。不自由な足を引きずって歩くので心配》

 

2月7日(土)
食欲はあり、痛がる様子もそれほどないけれど、
後ろ両足は完全に麻痺し、しっぽも相変わらず振らない。まったく足の感覚がないようだ。
朝一番で病院へ連れて行く。
とりあえずステロイドを使用して様子を見ましょう、ということになった。

昼近く、家に着いたあたりはまだ元気で、えさも沢山食べた。
しかし、それから急激に元気が無くなる。
また少し痛がっているように見える。立ったまま横になろうとしない。
これは初めてのこと。
そして、そのうえ小刻みに震えている…。

不安で不安でいてもたってもいられず、(姉の)まうさんに連絡をして家に来て貰った。
たーちゃんはまうさんが大好きで大好きでしかたがない。まうさんがくると、いつも大喜びをするので
反応を見たかったのです。
まうさんはすぐに来てくれたのですが…たーちゃんは、うれしそうにしてはいるものの身体がついて行かない様子。
あまりにも心配で、また病院に電話を入れた。
携帯を持つ手が不安で震えた。
今度は院長のI先生がでた。
これは軟化症になってしまったってことなのですか???それとも…
梗塞が治る過程でも、こんなに後退することがあるんですか???
と先生に聞いてみた。
気圧の変化でも、痛みが出ることもある、さらちゃんはめきめき回復していたから、軟化症ではないような…
移行するコは、ほとんど回復せず、そのまま…というパターンがほとんどだから…
でも、軟化症になってしまった可能性も否定できない…と。

ちがう、ちがうよ、先生、私が聞きたかったのは
「梗塞が回復する過程でも、後退することがあるんですよ」って言葉なんだよ。
先生、なんでそう言ってくれないの…

2月8日(日)
病状記録無し。
痛み止めとステロイドを貰っているので、家で様子を見ていたんだと思う。

明日から仕事なので、まうさんと吉祥寺にケージとおむつを買いに行きました。
たーちゃんがパピーの頃に使っていたやつは、どこにやったか覚えてないので…
(後日、押し入れと化した長男の部屋の奥から発見。くくるんが使用しました)

たーちゃんは完全に下半身が麻痺してしまって、垂れ流し状態だし…
何より、不自由な足で歩き回ったら足を折ってしまうかもしれない、と思いました。
足を折ってしまったら、また下半身が動くようになった時、歩けなくなっちゃう…と。

私が仕事に行っている間は、可哀想だけれどケージですごしてもらうことにした。
そしてお昼休みに様子を見に帰ってくるつもりだった。(職場は自転車で15分程度)
お昼ご飯食べなければ、往復とたーちゃんのオムツを替えたりとか、なんとかなる!と思った。

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《簡易なケージを購入して組み立てた。寒くないように、たーちゃんが眠るあたりは
段ボールをはりつけてみた。結局一度もこれを使うことはなかった。》

2月9日(月)
やはり不安だからまた午前休をとって病院へ。
軟化症になると、徐々に麻痺が上に上がってくるとのこと。
調べる方法は、ピンセットとかそういうもので背中を下から少しずつ上へ刺激して
背骨何個分まで麻痺しているか、たーちゃんの反応を見る、という原始的なものだそう。
反応しない部分が上に上がってきていれば軟化症へ移行…そういうことらしい。
またMRI撮ればはっきりしますか、と聞いて見た。する、しないは関係無しとして。
「もし軟化症なら今の段階で、もうはっきり解るはずです。
でも、さらちゃんはこの間撮ったばかりだから、
さらちゃんの身体への負担を考えても、おすすめはしません。金銭的にも負担が大きいですし(8万ほどかかる)」とのことでした。
お金なんていい(そりゃ、本当はかなりかなり辛いけど)でも、たーちゃんが辛いのは
どうしてもだめだ。
「先生、ヘルニアということはないですか?ヘルニアならすぐに手術をしないといけないんでしょう?」と聞いて見ると
「かりにヘルニアだったとしても、今の体力じゃすぐ手術は出来ないんですよ。」と。
「とにかく、明日また感覚の反応検査をすれば軟化症になってしまったのかどうか解ります。
今日より痛点が上に上がっていれば…」とのことでした。もし軟化症でなければ、それから考えましょう、ということのようだった。

帰り際、「先生、毎日電話やらなんやらごめんなさい」と謝ると、
「そんなこといいんですよ。不安ならいつでも電話下さい。気にしないで、いつでも。夜中でも。」とおっしゃって下さって
心強かったのを覚えてます。

2月10日(火)
今日は仕事ももう休めないので、病院に連れて行くのは帰宅後にするにして
代わりに妹に、休みをとって貰ってたーちゃんを見ていて貰おうと思ったら
朝、同僚からラインが来た。
「ふゆぅちゃんの仕事は私が頑張ってやるから休んで!」と言ってくれたので、
それに甘えて休んで妹と一緒に病院へ。

今日、軟化症かどうかの判断が下される。
たーちゃんを預け、待合室で待っていた。もう心臓がどきどきして壊れそうだった。
ところが、私がどうも痛み止めを与えすぎてしまったようで
あり得ないところまで痛点がない、とのこと…

朝、自ら立ち上がってブルブル(身体が濡れた時にする、あれ)をしたのは
痛み止めが効きすぎて痛みを感じなかっただけのことみたい。
とても元気に見えたから、進行していないんじゃ?と思った。

16時30分
痛み止めの座薬を入れる(レペタン)1時間ほどできいたようで
うつらうつら、たまにきゅんきゅんいう。
痛い、というよりは体勢を直してほしいとか水が欲しいとかの意思表示のよう。
私が見えないときゅんきゅんいう。
ずっと撫でていればきゅんきゅんいわない。
昨日に比べれば、ゆっくり眠れたと思う。
私はなでなでの仕事があるので、ほぼ眠れず。
(日中、さんぽ行く)
この時私は、起き上がれないのは痛いからで…これはヘルニアで、手術すれば治るのかも知れない
と思いこもうとしていました。でなければ、こんな現実を受け入れられなかった。

2月11日(水)
またもや同僚に甘えて仕事休む。
朝4:00には痛み止めの座薬を入れても良い時間だが、また痛点の境が解らないと
診断が下りず、ヘビの生殺しなので
たーたんには悪いが、痛みをなでなででごまかして薬無しで朝一番まうさんと病院へ。

いつものようにI先生にたーを預け、まうさんと二人無言で待合室でまつ。
待つ間、まうさんが私の手をずっとさすってくれた。
10分ほどで、呼ばれた。
診察室のドアを開けたI先生の顔…これは良くないんだな、そう直感した。
案の定「結果から言って、進行しています。背骨間接2つほど一昨日より。」
希望を持とうとしながらも、実は覚悟はしていた。
けれど、頭が真っ白になった。言葉にならなかった。
「軟化症になったってことですか」ときくと「そう考えられます」と。
先生は紙にマジックで色々説明を書いて下さったが、私は上の空でまったく頭に入ってこなかった。

私が知りたいのは…
「このあとどうなるんですか、苦しむんですか…」
先生は、何例かこの病気のコをみているけれど、それほど苦しまないとのこと…
「でも、呼吸が出来なくなるんでしょう?」ときくと(実は夕べ眠れなかったので、軟化症のことをネットで調べた)
「身体全体が弱っていくから、それほど苦しまないんですよ」とのこと…
ちょっと目を離していた間に亡くなっていた、というコが多いとのこと…
苦しまないのなら…(良かった、と言いたかったけれど良くないから言えなかった)涙が止まらなかった。

いつかはお別れの時が必ず来る。
たーたんは私に心の準備をする時間をくれたのだ。
ジロー(小学校の時に飼っていたダックスフント)やチビ(昔飼っていた猫)の様に
車にひかれていきなりいなくなるわけじゃない。
MRIを撮った時、この病と言われたら、今よりもっと受け入れがたかったろう。
ヘルニアだと思いこんでいたから、まさか死ぬなんて夢にも思わなかったから。

「あと、どれくらいですか1週間くらいですか」ときくと、先生はとても言いづらそうに
「う……ん…そうですね……1週間持つかどうか…」とI先生もとても悲しそうな顔をなさいました。
「また…連れてきた方が良いですか…」ときくと、
先生は「…もう…病院でして上げられることは
痛みを和らげることくらいしかないので…おうちで、さらちゃんの大好きなところで
過ごさせて上げて下さい。食欲があれば、なんても食べさせて、痛み止めの薬を
1週間分出しますので、もし切れたら取りに来て下さい。
なにか不安なことがあったら遠慮せず、いつでも夜中でもお電話下さい。」とおっしゃって下さいました。
1週間分の薬…たーちゃんの余命と同じ分だけなんだな…とぼやっと考えた。

※今から考えれば、よくペットの不治の病で課題になる「安楽死」という言葉は一言も出てこなかったな。

帰りの車の中で、ショックで涙もでない、と思いながら
どんどんどんどん涙が溢れでました。まうさんと二人、無言で泣いた。まうさんも、たーを撫でながら泣いていた。
まうさんに「たーがいなくなることが恐い」と言ったことだけ覚えてます。
そして、車ではいつもお気に入りの音楽を書けているけれど
たーがこんなになってからは一切かけなくなった。きっと音楽がかかっていたら
大好きな音楽が一生悲しい思い出の音楽になってしまうからね。

「でもね、目の前のこの子はまだ生きている。生きて生きて一生懸命生きようとしているんだ!
悲しむのはまだ早い!!!だってまだ生きているんだもん。誰だって残された時間なんて解らない。
この子はあと1週間だってわかっちゃっただけのこと。
だから1日1日を大切に生きよう」と、日記に書いていました。

職場に連絡を入れ、同僚と上司に正直に話しました。
そして、この週いっぱいお休みをさせてもらえることになりました。
本当に、そういった意味では職場に恵まれた、と思います。
沢山沢山同僚たちに迷惑を掛けてしまったけれど…

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《在りし日のなんでもない風景。たーは長男も大好きで、
京都から戻ったねぼすけ長男にくっついていつまでも眠ってたっけ》


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2016年2月 4日 (木)

たーちゃんについて。《脊髄梗塞》

つづき…

健康になったように見えても、子宮蓄膿症からここまでの道のりが1年数ヶ月と長かったので
半信半疑のような、そんな毎日を送っていました。
それでも楽しくお散歩へ行き、食べもの以外は気を遣わずに生活をしていました。

困ったのが父との関係です(^_^;)
腎臓を悪くするまでは、父が毎朝食べるヨーグルトを、たーに仲良くお裾分けしていたけれど
それを中止。
毎晩、父がおかずを(わざと)食べこぼして、たーに分け与えていたのに
それも“あげないで”ときつく言っているので
「へちゃ(たーのこと・父にとって動物はすべてへちゃ)は、おれが美味しいものをくれると期待にしてるのに可哀想…」と父が(^_^;)
あの、アイフルのワンコ同様、うるうる瞳のたーちゃんに見つめられると弱いわけです。
こっそり私の目を盗んでお裾分けして、数値があがっちゃったりして
何度「お願いだから止めて」と言ったことか。

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実は父は子供の頃、野良犬に追い回されて咬みつかれた経験があるそうで
動物が大嫌いなのです。
だから、先住猫のへちゃのこともそれほど可愛がっていなかったのだけれど
ここのところ、たーちゃんを可愛がっている節があることが、なんだか嬉しかったのです。

本来私は人間の食べるものを犬に与えるのは反対でした。でもあまりにも父とたーが仲良さそうだったから
味のない肉や、軟骨、少量の野菜については黙認していて。そのツケがここで回ってきたわけです。
やっと病院通いしなくても良くなりそうなのだから、細心の注意を払いたい…
で、結局、夕食時に少量の茹で野菜を父のお膳に並べて
それをたーに与えても良いことにして一件落着しました。
完全なる健康体では無くなってしまったけれど
そんな風に病気とうまく付き合いながら生活していこう、と前向きに捕らえ始めていました。

H26年年末~H27年年始には、私の妹家族もやってきて賑やかに過ごしました。
妹の子供は三人。
上の息子「りょう」は六年生。彼は小さな頃から私の家に年中泊まるので、たーちゃんはりょうが大大大好き。
二番目の「ちゅん」一年生。子供嫌いのたーですが、この頃やっと仲良くしてもいいかな、と思い始めた様子。
三番目の娘「ゆいたん」はまだ学校に上がっていません。ってわけで、たーちゃんはゆいたんが大の苦手。

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《お正月。たーちゃんは、りょう(左)とちゅん(右)が大好き!こやってよく勝手に仲間に入ってました。》

でも、ゆいたんは、たーちゃんと仲良くなりたくて仕方なかったわけです。
そして、にーちゃんたちには懐くのに、自分の所にはきてくれない、それがまた
さびしくて、たーちゃんに“仲良くして!!”の猛烈アタックしていたわけですね。
そのたびにたーは私の所へ唸りながら避難しに来ていました。
ときに、私の膝に避難しているたーを「ゆいたんもだっこした~~~い!」と
無理矢理むしりとっていくこともあって、抱っこしている時にゆいたんが近づくと
ゆいたんに唸ったりしていました。

Photo_2
《ふゆぅ・たくみ・ゆいたん・たーちゃん。お正月に撮影》

H27年元旦が終わり、子供らは帰って行きました。
帰って行ったけれど、相変わらずたーは私に必要以上にひっつくようになっていて
私がたーを抱っこしている横を、ふっと誰かが横切っただけで「うーっ」と唸ったりしていました。
普段、人に唸ったりしないコです。なので、よっぽど正月追い回されて疲れたのかな、と思っていました。
たーが座っている横を通っただけで、唸ったりもしていました。
え、そんなに??と思っていた1月半ば。
抱っこしようとしたら、「ひゃん」と鳴いたのです。あれ??どこか痛かった??
けれど、どこも痛そうな様子はないし…なんてことがその後も数回あり、
お医者に連れて行こうかな、と思っていた…そんな矢先の
1月27日の朝。
毎朝出勤のとき、「行ってくるよ」と声を掛ければ、たーちゃんはいつもどこかに潜り込んでいても
ちゃんと出てきます。なのに、その日は出てきませんでした。
たーの潜り込んだお布団をめくり、「なによ~、寒いの?」と、たーにキスしようとしたら、
たーがいきなり「がうっ」という声と共に私に噛みつこうとしたのです。

Photo_3
《寒い日は、よくこうやってお布団に潜ってました。》

もちろん実際はかみつきませんでした。が、今まで私に噛みつこうとしたことはおろか、ガウったことさえなかった
わけですから、いくら年末オコチャマにもみくちゃにされて疲れているとはいえ
あんまりでは????と私はショックでショックでショックで。
たーのマズルをつまみ、「たー!!いけないっ!」と叱ったのです。
たーちゃんはのろのろとお布団から出てきて、私の顔を「ごめんね、ごめんね、」と言うように一生懸命舐めていました。
私はなんとも複雑な気持ちのまま仕事へ行き、いつもどおり家に戻ると…
たーがやっぱり出てこないのです。
「たー、おいで!」それでも出てこない。「たー!!お・い・でっ!!」……
すると、いつものテレビの下のカクレガから、たーがでてきました。
でも、のろのろと…後ろ足を引きずって、よろけているのです。

初め、前庭疾患の再発かと思いました。「繰り返すこともある」と言われたからです。
でも、どうも前と様子が違うのです。
頭の傾きもないし、前庭疾患の時は、片後ろ足だけを引きずっていたけれど
この時はどうも両足後ろとも動きづらいようすでした。
でも、それほど痛がる様子もなく…
その日はもう遅かったので、病院へは連れて行きませんでした。
でも、どうにも落ち着かず、ネットで調べてみたところ
どうも症状的に「ヘルニア」ではないか、と思いました。
ヘルニアだとしたら、後遺症が残るかどうかは手術までの時間で決まる、と書いてあり、
翌日H27年1月28日(水)仕事を半休し、
あまりにも不安で心細かったので、姉のまうさんにも付き添って貰って(わざわざ休みを取って貰い)
朝一番で「子宮蓄膿症」を治療して貰ったK動物病院に連れて行きました。

先生は入念に体中をチェックして下さいましたが、これはMRIを撮らないとなんとも診断できない、とおっしゃいました。
場合によっては手術が必要になる可能性が高い、ということだったので、「ヘルニアですか?」と
聞いて見ました。しかし、可能性は高い、としながらも断言なさいませんでした。

そこで、2カ所MRIを撮れる施設を示して下さいました。ひとつは日本獣医生命化学大学付属動物病院(通称・獣医大)。
それと、それの関係の動物病院。
ただ、もし手術になるのなら、獣医大付属の方がMRIの後すぐ、麻酔の効いたまま手術をしてもらえるから
患獣にとって負担が少ないのでそちらのほうが良いのではないか、と先生がおっしゃいました。
私が獣医へ問い合わせをしてみますから、と先生がおっしゃって下さったこともあり、お任せしました。
獣医大から返事が来る間、まうさんと二人たーを抱っこして待合室でずっと待っていました。
ところが、獣医大学のスタッフは「折り返します」といったっきり、いくら待っても折り返し無し。
先生に「今日中に連絡はくるだろうけれど、いつくるのかわからないので、家で待機して下さい。折り返しの連絡が来次第
お電話します」といわれ、たーを連れて家に戻りました。

家に帰り、落ち着くまもなく
とりあえずは職場へ連絡を入れ状況を話し午後も休ませて貰うことにしました。
そして3日後にペットサロンのお風呂に予約を入れていたので
キャンセルの電話を入れ、いつも担当してくれる新人の女の子に事情を話し電話を切りました。

すると、しばらく経ってからペットサロンオーナーのWさんから私の携帯に電話が入りました。
「いま話聞いたけど、どうしたの?!」とおっしゃるので、また一から事情を話しました。
すると、
「そんな、もしヘルニアだったら時間との勝負なんだよ?!獣医大なんて、全国から患獣がくるんだから
予約なんてずっと先になっちゃうよ!?だって、未だに返事も来ないんでしょう?」と。
「そんなの待ってたら、サラちゃん歩けなくなっちゃう!うちのワンコたちが掛かってる病院に今からいこう?!
そこは、脊髄関係の権威だからっ!今すぐ私病院に電話入れとくから!」とすごい勢い。
私は、何しろもう不安で死にそうだったし、もう頭が真っ白で「はぁ…でも…」ともごもご返事しました。

もう1年以上、月1ペースでそのペットサロンのお世話になってはいるものの、人見知りの私は、
特別オーナーのWさんと親しくしているわけではありませんでした。
オーナーさんがどういう方なのかよくわからないし、どこまで甘えて良いかも解らなかったし
なにより、K動物病院には子宮蓄膿症の時に助けて頂いたという恩がある…先生も信頼している。
今、他の病院に掛かるってことは裏切りじゃないか?そんな気がしていました。
それを察したオーナーのWさんが「ママの気持ちもわかるけど、義理とサラちゃんとどっちが大事なの?!?!
時間との勝負だって、獣医だったら普通解るんだよ?それを悠長に待て、なんて、言ってることがおかしいの!
あの先生(K動物病院)は歯医者さんなんだから…」
(※余談ですが、Wさんのお話しでは、獣医師だって人間の医師同様、専門があるということで
今まで掛かっていたK動物病院の先生は歯科を得意としている、ということでした。
言われてみれば、確かにそうなんです。)
「ママが連れて行かないんだったら、私これからそっちいってサラちゃん勝手に連れて行っちゃうからっ!」と。
そこで私は瞬時に考えたの。
そうだ、そうだよ。大事なのはたーちゃんだった。迷ったのは、たーちゃんの為じゃなくて
Wさんの言うとおり、“恩”というより“義理立て”なんだって。

そして、その昔、うちの長男が重篤な先天性心疾患で危なかった時も同じことがあったのを思い出した。
初めに掛かった都内の大病院で1年後に手術の予定が入っていたけれど
父の知人の医師から、その当時心臓病の絶対的な権威であった(今もかしら?)
東京女子医大付属心臓血圧研究所へのセカンドオピニオンを勧められていたの。
私は、初めに掛かった大きな病院の先生もとても親切だったこともあり、その時も迷ったのです。
でも、「手術が1年先で良いとはとても思えない、心配だ」と、父があまりにも強く強く希望するから…
私は気が進まなかったけれど、セカンドオピニオンに訪れたところ、そのまま緊急手術となり、命を繋いだことがあった…

そして私は決心し
「わかりました。すぐそちらに伺います」とWさんに返事をしました。
そしてK動物病院にもすぐに電話を入れ、事情を話したことろ
先生は「そうですか…では獣医大にはキャンセルの電話を入れますので。お大事に」と冷たい感じでした。

電話を切ると、急いでたーちゃんを連れ、まうさんと一緒にペットサロンへ向かいました。
サロンの前に車を停めるとオーナーのWさんが待ち構えていて、
「もしヘルニアだったら、なるべく動かさない方が良いから。これでぐるぐる巻にして、なるべく水平に抱っこして」と
バスタオルを渡して下さいました。
そして、たーを撫でながら「さらちゃん、大丈夫だからね、きっと治るからね」とおっしゃって下さり
私は思わず涙がこぼれてしまいました。
すると、私にも「大丈夫だよ、ママ、心配しない、大丈夫大丈夫!泣かなくていいよ、絶対大丈夫なんだから!」と
励まして下さいました。
「大丈夫」なんて、なんの根拠もないし、私だったらなんだか無責任な気がして
おいそれとは言えないのに、私はこの時のWさんの「絶対大丈夫!心配しない!」という言葉で
とても救われた気持ちがしました。

Wさんの車の後に着いて20分ほど運転すると、上石神井にあるKam動物病院に着きました。
丁度休憩時間中でしたが、Wさんが連絡を入れて下さっていたので
先生が二人、たーを迎えに出て下さいました。
診て頂くと、やはりすぐにでもMRIを撮る必要があるとのこと。こちらの病院にもやはり設備がないので
すぐに以前“前庭疾患”でCTを撮った、キャミックに予約を入れて下さり
そのまま向かいました。
キャミックには、たーのカルテが残っていたので、話が早く
たーを預けて、また時間をつぶしに外へ出掛けました。
その時のことは、あまり覚えていません。ただただ不安だったのは確かだと思いますが…
キャミックに戻り、受付に戻ったことを伝え、待合室で待っていると
先生が出ていらっしゃいました。
そして、「気になるでしょうから結論から言うと、ヘルニアじゃありませんでした。
詳しくはこの後すぐ話しますが、脊髄梗塞と言って、手術をしなくても時間が経てば歩けるようになります」とおっしゃいました。
緊張の糸が切れ、ほっとして、姉のまうさんと一緒に手を取り合って「よかった、よかった」と泣きながら喜びました。

その後部屋に通され、MRI画像を見ながら詳しい説明を聞きました。
脊髄梗塞というのは、何らかの原因で脊髄の血管が詰まった状態だそうです。その為に麻痺が出るのだそうです。
これが人だと結構大変らしいけれど、犬の場合は詰まった血管の替わりにまたどんどん脇から新たな血管が伸びてきて
血液の路を造るので、また足が動くようになる、とかそんな説明でした。

たーは両後ろ足とも麻痺してまったく動きませんでしたが、しっぽだけはパタパタ良く動いていて
脊髄梗塞の場合は、こういうことが多いそうです。また、片足だけの麻痺だったり、片側前後の足の麻痺など
詰まった場所によって色々パターンがあるそうです。
あまり痛がらないのもヘルニアとの違い、とおっしゃっていました。
それ以外にも、脊髄軟化症という恐ろしい病気もあって、ヘルニア・脊髄梗塞・精髄軟化症は初期症状がとても似ているので
MRIを撮らないと診断がつかない、ということでした。
そして、その脊髄軟化症ですが…これ単体で発症することはないそうです。
今回のように梗塞やヘルニア等で脊髄を傷つけたことをきっかっけに、
ごくごく希に脊髄軟化症に移行する場合がある、とのことでした。
脊髄軟化症になると、急激に脊髄が壊死していき、徐々に麻痺が頭までまわり、早くてその日のうち、長く生きながらえたとしても
10日ほどで死に至る、
今の医学では治療法がまったくなく、死を待つのみの恐ろしい病気だということでした。

説明時、脊髄軟化症になってしまったコのMRI画像も一緒に見せて頂き
「脊髄軟化症になると、こういった具合に脊髄が真っ白に光って映るのです」と説明を聞きました。
「さらちゃんの写真は、もやもやっと灰色で、このあたりが詰まっています」と比較して説明して下さいました。
さらちゃんは脊髄軟化症ではないけれど、これをきっかけに移行することもごく希にある、と心に留めておいて下さい、という
説明でした。
ああ、このRMIのコは死んでしまったんだな…と複雑な思いで写真をながめていました。
“心に留めておいて”程度のことで、確率としても決して多くはない、ということだったから
まさかこの時は、その恐ろしい病気に移行してしまうとは夢にも思わず
とにかく嬉しくて仕方がなかったのです。

それからたーを連れてKam動物病院へ戻りまた先生から更に詳しい説明と今後の治療方針を聞きました。
おそらく3日も経った頃から、徐々に足も動くようになってくるでしょう、ということでした。
先生から、今日は入院しましょうか、と提案があり、迷いましたが
Wさんに報告の電話を入れたところ「今日は病院にお泊まりさせたらいいよ。ママも疲れたでしょう。明日から仕事なんだったら
無理に連れて帰らない方が良いよ。病院なら安心でしょう?」と
言われたこともあり、その日から3泊病院にお泊まりさせました。

翌日(木曜日)、仕事の合間に病院に様子伺いの電話を入れましたが、昨日と変わらない、とのことでした。
更に次の日の金曜日に連絡を入れると、後ろ足に少し力が入るようになってきたとのこと。
1月31日(土)朝電話を入れると、後ろ足も立ち上がっているとのことでした。
ああ、この様子なら土日過ごせば、月曜日はお留守番できそうだな、とたーを迎えに行き
家に連れ帰りました。

帰り道、ペットサロンによってWさんやスタッフの皆さんにご挨拶しました。
あの豪快なWさんが、ぽろぽろと涙を流して喜んでくれたことが忘れられません。

《ここからは当時を思い出す作業がいまだ辛いので、当時つけていた日記原文です》

2月1日(日)
ずいぶん回復してきて、よろめきながらも歩けるようになった。
両後ろ足は完全に麻痺していたのに、動物の回復力ってすごいな、と感心。
ふらつきながらも後ろ足で顔をかくこともできた。
ただ、まだジャンプなどは出来ないので、私の膝に乗る時は前足でよじ登る感じ。
15センチほどの段差、下りられるが上れない。

2月2日(月)
AMほぼいつも通り。たまにコケっとなる。
あいかわらずジャンプできない。

2月3日(火)
歩行・小走りはほぼヨロつきなし。
カリカリは食べないがおやつはほしがる。

この辺りまでは、きっとまだ脊髄軟化症にはなっていなかったのだと思います。
私も、どんどん回復しているので、安堵しはじめたとこでした。


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2016年1月17日 (日)

たーちゃんについて。《子宮蓄膿症》

前庭疾患症状ピークから一週間もすると、たーちゃんは何事もなかったかのように
食欲もりもり、お散歩すたすた、4才の若者らしく元気いっぱいのいつものたーちゃんに戻りました。
私は、たーちゃんの体調がすっかり戻るまで無理して定時で仕事を切り上げていたので
そのツケがまわり、いつもより忙しい毎日になってしまいました。
毎日残業、残業で、平日はたーちゃんが大好きなお散歩も行けないこともしばしば。
ごめんね、と謝りまくりの日々でしたが
土日にはちょっと長めのお散歩やランに連れて行くなど、がっつり遊んでツケを払っていました。

Taran
《たーはドッグランが大好きだった》

平日は家に帰ると家事に追われ、なかなかたーちゃんと遊んであげられなかったので
たーはタクが学校から帰ってくるのを毎日待ちわびていました。
タクは、とても遊ばせ上手で(犬も子供も)たーと追いかけっこをしたり、おもちゃで遊んだり、たーをもみくちゃにしたり。
たーにとってタクは、遊んでくれる楽しいアミーゴといったところだったと思います。
(くくるんにとってもそうだと思います(笑)
たーちゃんはタクを見ると、いつも必ずプリッとお尻を高く上げ遊びに誘いまくり大興奮で
ぎゃんぎゃん遊んで!遊んで!とよく吠えていました。

朝などは、毎日タクを起こす為に私がタクの部屋の戸を開けると、すごい勢いで部屋に飛び込んでいき
寝てるタクの布団の上にドカドカ上り、ぎゃんぎゃん吠えながら布団やタクの部屋着を引っ張りまくり
手荒くタクを起こしてくれました。(こういう事をするのはタクにだけ)
タクが「行ってきます」と私の部屋のドアを開けると、タクに向かってぷりっとおしりを上げ、ぎゃんぎゃん吠えて
いってらっしゃい!…こんな儀式が毎朝毎朝繰り広げられていました。
(くくるんも、毎朝たーと同じように手荒くタクを起こしてくれるんだけど
「行ってきます」と私の部屋のドアを開けて挨拶しても、キョトンとタクを見上げるだけで
まったく吠えないので、ちょっと物足りないみたい(笑)

病気のことなどすっかり忘れて、そんな何気ない毎日を送っていたある日。

前庭疾患から8ヶ月が経った4才の夏、H15年8月初めの5才を目前にしたころ。
なんだか元気がなく、食欲がない日が続きました。
カリカリにはまったく口をつけようとしませんでした。

もともとたーちゃんはカリカリフードが好きではなく、普段でも1食分のかりかりを一粒くわえては
いちいち私のところまで持ってきて私の顔を見ながらもぐもぐ食べる、というようなことを毎回していました。
当然、完食まで2時間くらいかかり、朝など私が出かけるまでに食べ終わらないと
私が帰ってくるまでお皿に残ったかりかりに口を付けることはありませんでした。
なんだか元気がないな、と思っても
かりかり以外の好きなもの(納豆やヨーグルトも毎日少量与えていました)は相変わらずよく食べる。
散歩も大喜びで行きたがる、
夕食時は何時ものように私の父の隣を陣取り、父が(わざと)食べこぼさないかずっと父を見上げたりなど
そんな調子だったので、食欲がないのか…単にわがままがでてるのか…微妙なところでした。

Jijito
《居間では父にくっついてることが多かったなぁ》


でもやっぱり元気がないと感じたので一応病院連れて行くか、といつものM動物病院へ連れて行きました。
一通り診ていただいたけれど、特に悪そうなところも見あたらず、その夏は人もへばるほど連日の猛暑でしたので
「夏ばてかな」といわれて帰ってきました。

それから1週間ほど様子を見ましたが、やはり元気は回復しませんでした。
彼女は、日中くつろぐには私のベッドよりもテレビ台の下の方が好きで、
夜眠る時以外はよくテレビ台の下に潜ってくつろいでいましたが
その日はなかなかそこから出てこようとしなかったのです。

Kakurega_6
《たーのカクレガ。今もそのまま。最近はくくるんがおもちゃを持ち込んで遊んでます》

実はその3日後、私はタクと甥っ子(ちゅんのお兄ちゃん)と3人で4泊5日の旅行に行くことが決まっていましたので
やはり心配で、もう一度病院へと連れて行きました。
触診して頂いたけれどやはりどこかが腫れているという様子もないし、痛がる様子もないし…
これは血液検査してみようか、ということで検査して頂きました。
が、結果数値に異常なし。やはり夏ばてか…ということで、なんだったかの注射をしていただいて
恐らくこれで食欲がでるはず、と帰ってきました。
一時的に食欲は戻ったのですが、やはり翌日には元通り…
旅行を取り止めるか?とも思ったのですが、父が、タクも甥もすごく楽しみにしているのだから
行ってきなさい、たーちゃんはちゃんと見てるから、と言ってくれ
姉のまうさんも、仕事の後ちょっとうちによってたーの様子を見るから、と言ってくれたので、お言葉に甘え旅行に出ました。
私が留守中もたーちゃんの様子をまうさんが逐一報告してくれましたが、特に様子や食欲が変わることもなく…
もともと私が不在になるとたーの食欲はがくっと落ちるので、それが体調不良からくるのか
オカァ居なくて寂しいから来るのかわからずにいました。
でも、鶏肉は食べたよ、などメールを度々送ってくれました。

そして旅行から帰ってくると…
私やタクが旅行から戻り、たーはとても喜んでくれたのですが、何かさらに元気がないのです。
抱っこしてみたら、え?おなかが腫れている??でも旅行中、うんちをほとんどしなかったんだそうで…
うんちが詰まって張っているのかしら…と思いました。
元気ないよね?気のせいじゃないよね?そんな気持ちで、帰って早々だったけれど「お散歩行こうか?」と話しかけてみました。
いつもだったら大興奮で家中走り回るのに、しずかにしっぽを振るばかり。ハーネスをつけ、外へ出てみました。
ところが、数歩歩いただけで立ち止まってしまうのです。
これはあきらかにおかしい。このおなかの張りだって、やっぱり便秘の張り方じゃない。そう感じ、
たーを抱きかかえ家に戻り、急いでかかりつけのM動物病院へ電話をしてみました。

この日は土曜日の午後で、もう病院は診察をしていなかったので電話は先生の携帯へ転送されました。
先生に事情を話しましたが、今までの経緯を知っているからこそなのか(?)それほど重症とは感じなかったのでしょうか
「いま出先で、これから用事があって戻れないから今日は診られない。明日も戻れない。もし急ぎと感じるなら、
近所に新しく動物病院出来たみたいですよ、そこ、土曜日もやってるみたいだからそこ行ってみれば?
結構評判いいみたいだよ」とけんもほろろに断られました。
急いでネットでその病院を調べて電話をしてみました。
ところがこちらの病院もたまたまこの日は学会があって電話した時には診療が終わっていました。
でもこれは急を要するんじゃないか、と必死に電話に出た女性に(後に奥様と判明)事情を話し、助けて、とうったえたところ、
先生に聞いて下さって「入院や手術は受けられませんが、とりあえず診るだけ診ましょう」とおっしゃって下さり
K動物病院へ急いで連れて行きました。

先生は、たーのおなかを診るなり“これは異常”と思ったんだか「触診はしないでエコーで診ましょう」と
おっしゃいました。そしてエコーを見ながら
「子宮に何かたまっている様子です。恐らく、膿、恐らく、子宮蓄膿症ではないかと思います」とおっしゃいました。
これは一刻を争います、かなり危険な状態。もし破裂してしまえば100%死に至ります。
破裂しなくても、膿が洩れていれば命が危ない…という事でした。
電話では「手術はできません」とおっしゃったけれど、「重篤のわんちゃんを差し置いて学会なんかでていたら本末転倒ですからね」

とおっしゃって下さり緊急手術の運びとなりました。

夕方4時くらいに病院へ飛び込んで、そのままたーを先生に引き渡しました。
何しろびびりのたーちゃん。いきなり知らん所に連れてこられ、その上知らんおっちゃんに抱っこされ…オカァは部屋から出て行こう

としてる。
たーとしては恐怖しか無かったと思います。先生に抱っこされたたーは、私を悲しげに見つめていて、
「たーちゃんごめんね。そんな目でみないで…」と
いう言葉が涙と共に思わず口を突いて出てしまったことを思い出します。

手術が終わったらお電話します、とのことで自宅待機になりました。
術前検査、点滴をして状態が安定してからの手術…ということで、手術は夜の10時くらいから始まったようです。
私は旅行から帰ったばかりでくたびれ果てていたけれど、眠らずにずっと待っていました。
もしかしたら生きて帰ってこられないかも知れない、まだ5才にもならないたーが…なんで…なんで…
この時も、最悪のことをぐるぐる考え続けていました。
夜中の1時過ぎ、病院から連絡が来ました。
「手術は無事に終わりました。やはり、子宮蓄膿症でした。子宮を全摘出しました。
サラちゃんはまだ麻酔で眠っているし夜中なので明日いらっしゃいますか?今日会いにいらっしゃいますか?」
と聞いて下さったので、迷わずすぐにタクと二人で病院へ向かいました。

まずはたーに会わせて下さいました…麻酔から目覚めていなかったけれど、ちゃんと生きている。良かった。
それから説明。
取り出した子宮を見せて貰いました。
膿を溜めた子宮は、女性の握り拳2つ分ほどにもふくれあがっていました。
あと3日、いや2日放置していたら破裂していて命はなかったでしょう、とのことで、ショックで言葉が出ませんでした。
まだ取り出したばかりで表面がにょうにょと動いているたーの臓器を見ながら
「こんなになるまで気がついてあげられなかった…」と思わず言葉にすると、
多くの場合は膣から膿が流れて、その臭いで気がつくことがあるのだけれど
サラちゃんの場合は子宮口が固く閉じていて膿が急速に溜まり、気づくことが出来なかったんじゃないかな、と
おっしゃって下さいました。
子宮をすっかり取り出したので、1つの山は越えたけれど…ただ、膿が少し体内に洩れてしまっていたので
おなかの中は丁寧に洗ったのだけれど…今日明日が山です、とおっしゃいました。
最低10日間の入院、と言われ帰ってきました。
帰り際、先生に「この子宮はこちらで処分しても良いですか?」と聞かれ
あー、そんな事まで確認するんだなぁ、とちょっと感心しました。まぁ、いろんな家族がいるからね。

それからたーが退院するまで、普段は不携帯の電話を、肌身離さず携帯していました。
診療時間内ならいつでも何回でも面会にいらしてください、とおっしゃっていただき、またもや毎日定時で仕事を切り上げ
一生懸命面会に通いました。


Erikara
《手術翌日。点滴がとれるまではエリカラです》

私が勤めていた職場は、みな何かしらの動物を飼っていて、直属の上司以外はペットの病気にに対し、子供の病気並みに
理解があり、それぞれの飼っている動物に何かあればお互い助け合っていたので、その点は恵まれていたし、今でも同僚達に感謝しています。

無事に山を越え、たーちゃんは驚異の快復力をみせてくれました。
ただ、黒光りして美しかったたーちゃんの被毛は、あっという間にボロボロに抜け落ち、つやもなく
フサフサだったしっぽもボソボソになってしまいました。
先生が「体調が悪くなると、まず毛にでます。でも元に戻るから大丈夫」と慰めて下さいました。
順調に回復してきているので、もしサラちゃんが気に入っているおもちゃがあったら持ってきて下さい、少しでも安心できると
思いますし、暇つぶしになりますから、とおっしゃってくださいました。
お言葉にあまえ、お気に入りのモモンガのぬいぐるみを持って行きました。
次の日面会に行くと、「サラちゃん今日は絶好調で、モモンガさんをくわえてブンブン振り回してました」と
報告して下さいました。
たーちゃんはこの頃になると私が病院に入っただけでわかるらしく、きゅんきゅん鳴き出すんですよ、ともおっしゃっていました。
何しろ優しい先生で、人間の小児科の先生のように優しく優しく動物に話しかけるので、
たまにちょっとクスッと笑っちゃう時もありました。
(偶然にも長男の同じ高校の先輩で、年代的に同時期通学していたわけではないのだけれど
たまたま部活の先輩でOBとして長男が在学中、指導していらっしゃったそうです。
部員は何十人もいたのだけれど、長男は副部長をしていたこともあり先生は長男を覚えていらっしゃってビックリしました)

入院から一週間が経った土曜日。いつものようにまうさんと面会に行くと
先生から「今日血液検査の結果が良かったんですよ。経過も良いので予定より早いですが、今日退院しましょうか」と
お話しがありました。
予期せぬ嬉しい出来事に一瞬ぽかん、としたのですが
すぐに“もう後ろ髪引かれながら一人家に帰らなくて良いんだ!!”と天にも昇る気持ちだったのを覚えています。

Tenteki_2
《退院直前。ずいぶん元気になって、膝から飛び降りようとするので冷や冷やしました》

ただし、結果が良かったと言っても腎臓、肝臓、赤血球、赤血球、尿酸などなど、まだ異常値なので
毎日点滴に来て下さい、ということでした。
3~4日ほど毎日通い、それが3日に1回になり、4日に1回になりました。
でも、術後2ヶ月経ってもなかなか血液検査の数値が良くなりませんでした。
手術した時点でかなりの重症だったことで腎臓にかなりダメージを受けてしまったということでした。
1度壊れてしまった腎臓はもう元には戻らないから、なるべく進行させないように丁寧にケアしながら
病気と付き合っていくしかない、と言われました。
でも、死んでしまうようなレベルではないから、きちんとケアすれば長生きできるから、ということで
なんとか前向きに考えるようにしました。

Ato
《痛々しいけれど…でも跡は見ても解らないほどになりました。病気の影響で陰部が腫れてます(涙)》

それから、フードを療法食の腎臓サポートに切り替え、野菜はゆでて与え生野菜はさけ、おやつも腎臓に負担の掛からないものを
選び、と食生活にもとても気を遣いました。
一見元気いっぱい元通りになったように見えて、食生活などちょっと油断しすると、
すぐ体調に出てしまい、お薬の量が増えてしまったり、点滴の間隔がまた短くなるなどを
繰り返しましたが、それでも手術から1年と何ヶ月か過ぎた頃には、食生活をきちんと管理することによって(たぶん)
血液検査の数値も安定し、やっと点滴しないで様子を見ましょう、というお許しが先生からでました。

その頃には、術後しばらくしてからせっせと通い始めた超音波泡風呂のおかげか、毛ぶきも良くなり…

Bell

でも、たーはくくるんと違って、なかなか慣れなかったなぁ。
たーは5歳で初めてきたけど、くくるんは初めて来たのは5ヶ月だったからかな。

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すっかり健康そのものに戻ったようでした。


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2016年1月11日 (月)

たーちゃんについて。《初めの病気・前庭疾患》


たくがきちんと学校に行くようになると、たーちゃんのお世話のほとんどが私の役割となり
自然とたーちゃんは私にべったりになりました。ってことで、たくはたーにとってアミーゴへと格下げとなったのです(笑)。

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《たくみはアミーゴ》

抱っこされることが何しろ好きなコで、隙あらば私の膝に半ば強引に乗ってくることもしばしば。
なでられることも大好きで、自分から手の下に頭を突っ込んでは「撫でて~」とおねだりもよくしていました。
撫でることを止めると、前足で無理矢理人の手を自分の頭に引き寄せ、強引に撫でられようともしていました。

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《抱っこ大好きなの♪》

そんな4才になったばかりの暮れ。12月。
ある朝、よろっとたーちゃんがよろめいた。
右後ろ足を少し引きずってるように見える。え?どうしたの??足を痛めたのかな??
念入りに身体中をさわってみたけれど、どこも痛がらない。
様子をしばし観察してみても、足を引きずる以外は元気だし彼女なりの食欲もある。
(たーは、カリカリをがっついて食べることはなく、一粒口に含んでは私の目の前までやってきて
私を見ながらかりかりして…また1粒口に含んで…を繰り返すので、
完食するのにエラい時間が掛かった)
とりあえず、大丈夫?オカァ帰ってくるまで頑張って、と仕事に出ました。
帰ってきても特に様子は変わらず、一晩様子を見ることにしました。
翌日になってもあまり様子が変わらない、でも昨日はなかったふらつきが少しあるように感じました。
これはお医者に連れて行った方がよいかな、と思ったのですが、
その日は仕事がどうしても休めなかったのでとりあえず出勤し定時で切り上げるつもりでいました。
でも、どうしても気になって仕事が手に着かないので
同僚に事情を話し、昼で早退させてもらいました。
急いで家に帰ってみると、明らかに朝よりもふらつきが強くなっていて、首がなんだか傾いている??
これはおかしいとかかりつけのM動物病院へ連れて行きました。
先生が歩き方を入念にチェックしてくださり、「これはCTを撮らないと原因がわからない」とおっしゃいました。
問題のない場合もあるし、脳に問題があって直ぐに手術が必要な場合もあるからと。
M動物病院ではCTを撮る設備がないので、CT・MRIを撮ることを専門としている世田谷区にある「キャミック」に予約を入れました。
翌日だったか…、姉に付き添って貰い訪れたのですが
その時たーちゃんの首はほぼ90度傾いて、まっすく歩くことも出来ずにいました。
丁寧に検査についての説明を受け、書類にサインをし、検査をするために、たーちゃんをスタッフに渡してから
時間をつぶしに外へ出ました。
検査が終わるまでの間いてもたってもいられず、とても辛くて…最悪の結果だったらどうしよう…
そんなことばかり考えていました。
三時間ほどしてから迎えに行くと「もう麻酔から覚めていますよ」といわれ、一刻も早く会いたかったけれど
対面の前に結果と説明を、ということでした。
結果、脳にはまったく問題はありませんでした。脳髄液も採取し検査したけれど、きれいそのもの、ということで
一安心しました。

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《脳髄液を採取したので、ハゲが出来てます》

病名は「前葉疾患」と告げられました。
これは、はっきりした原因がわからないこういった症状の場合につく病名のようです。
年をとった犬に多いらしく、若いコでかかるのは非常に珍しいということでした。
人で言うメニエールのようなものなんだそうです。
たいていは発症から10日ほどで回復していくと言うことでした。

一通り説明を聞いてから、たーたんとやっとあえました。
もともとの症状と麻酔のせいで、ふらふらして起き上ることができないので、バスタオルにくるまれたまま
渡されました。
動けないけれど、私たちを見るととても嬉しそうに一生懸命しっぽを振っていたのを覚えてます。
姉のまうさんは車の運転をしないので、助手席でたーたんをだっこして貰いました。
運転しながら、何度も何度もたーたんに話しかけました。たった三時間程度離れていただけなのに
もう何年も離ればなれになっていたかのように感じたのを覚えています。
一安心はしたものの、その日が症状の悪いピークだったと思います。
首はとうとう90度近くかしげてしまいました。

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《これは回復してきているので、オスワリしてますがピーク時はちゃんとオスワリも
出来ませんでした。ベッドに飛び乗れないので、しばらくの間床に布団を敷いて一緒に寝ました。》

歩くこともほとんと出来ず、ふらふらして気分も良くないようで食欲も全くありませんでした。
当然トイレも間に合わず、途中で漏らしてしまうことも。
なので起きている時は、たーたんがトイレに行くそぶりを見せると、トイレまで連れて行きました。
問題は寝る時でした。いつも一緒に眠っていたから、いまさら一緒に寝ないなんてことはできませんでした。
オムツをしてみましたが、とてもいやがり、自分で外してしまうので、オムツも諦め…
考えた末、布団とシーツの間にペットシーツを敷き詰め、シーツの上にまたペットシーツを敷き、その上にまたバスタオル。
もし漏らしても、漏らした部分だけささっと換えられるように。うん。ばっちり。
漏らしちゃったっていいんだよ。とたーに話して、一緒に眠りました。
準備万端整えたのですが、神経が麻痺しているわけではなかったので、夜中にトイレにいくことを我慢していたのでしょうか、
実際寝ている時にお布団で漏らしちゃうことは一度もありませんでした。
病院からはステロイドをいただきました。まれに後遺症で首がかしげたままになってしまったり
歩き方がちょっとぎこちなくなる場合がある
と説明を受けましたが、それから何度か通院しつつ(食事がとれないので栄養と水分補給のため)

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《私が仕事でどうしても病院に連れて行けなかったとき、まうさんに
こんな風にして病院へ連れて行ってもらいました。》

1週間もすると後遺症もなくすっかり元気になりました。

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