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2016年5月 1日 (日)

たーちゃんについて《その後…》

H27年3月15日(日)快晴

朝目が覚めて、となりに眠ってるたーちゃんを触ってみた。
もうすっかり冷たくなっていた。
お顔をみると、うっすらと目をあけている。夕べのまんまだ。
なんとか目を合わせようとしたけれど、やっぱり目は合わなかった。
私、もう酔っぱらってなかったけどね、現実味があまりにも無くて、これって現実なんだろうか、と思った。
自分でも信じられないくらい冷静にたーちゃんを客観的に見つめてた。
何度も何度もたーちゃんに呼びかけるけれど、やっぱりピクリとも動かないんだよね。

昨日のうちにKam動物病院へ電話を入れて、先生にたーが死んだことを報告した。
先生がなんて言っていたか覚えてない。
でもね、なんでそういう話しになったのか覚えてないけれど、
死んでしまうとどうしても目が開いてしまうんだって話しをしていた。
接着剤でくっつける人もいるんですよ、って言ってたな、とぼんやり思った。
目なんて開いていたっていいじゃないね。なんで閉じさせたいんだろう、と思った。

たーちゃんには「元気になったら着ようね」とまうさんが買ってきてくれた
ピンクの可愛いお洋服を着せていた。生きている時は着ることが出来なかったけど…
そして、お気に入りの私のフリースピンクガウンに乗せてまうさんが買ってきてくれた白いベッドに寝せ
周りをタクの親友のりょーたが持ってきてくれたお花で飾っていたのだけれど
今朝、まうさんもお花を買ってきてくれたので、それも足すと、さらにぱーっと華やかになった。
私の大好きな黄色いお花。
黒いたーちゃんによく似合うと思った。

そして、私とまうさんとタクの三人で、車に乗って火葬業社へ向かった。
たーちゃんのお洋服や、お気に入りだったぬいぐるみの中から
ほんの少しだけを家に残して、すべて一緒に燃やして貰おうとそれらも持った。
それと、たーが寂しくないように私達家族みんなの写真も持った。

たーちゃんを火葬するに当たって
10年くらい前に、へちゃ(前住猫)を火葬したお寺さんにお願いしようか、とも思ったけれど
個別に火葬するには相当な費用が掛かることが解った。あれ、そんなに高かったっけ、とビックリした。
恥ずかしながら…ここ数年間のたーちゃんの医療費に何十万も掛かっていたので、あまりお金がなかった。
そんなとき、妹の話を思い出した。
昨年妹のところで可愛がっていたウサギが死んでしまって
お寺ではなくペット火葬業社に頼んだんだ、と言っていたっけ。安かったけれど、丁寧でとても良かったよ、と。
同じ業者ではないけれど、それも有りか、と調べると費用はお寺さんの約半額だった。
車に火葬できる窯が乗っていて、希望の場所に来てくれて火葬してくれる、ということだった。
もちろん、持ち込んでお任せで火葬して貰うこともできる。
私達は、こちらから出向くことを選んだ。どっかに来て貰ったら、2度とそこには辛くて行けなくなってしまうから。
そこは、うちから車で15分程度。kam動物病院に行く途中と言って良いような場所にあったけれど
目の前を通っても通り過ぎちゃうような、小さな小さな会社だった。
表に火葬する窯をつんだ黒い車が停まっていた。
中に入ると祭壇があり、洋風の棺が用意されていた。
そこに遺体を安置して下さい、とおっしゃいました。
え、ベッドから出すんですか?このままではいけませんか?と聞いてみたけれど
環境保全のためにポリエステルでできたベッドを一緒に燃やすことは出来ないんだって。
写真はOK、ぬいぐるみもギリOK。でも、とても申し訳なそうに、
お気に入りのフリースピンクガウンは大きすぎるのでお持ち帰り頂けますか、と言われました。
そんなそんなそんな…これはたーのいちばんのお気に入りなんです。
なんとか、なんとか持たせたいんです、と半泣き状態でお願いすると、気持ちを汲んで下さって「じゃ半分だけ…」ということで
はさみでガウンを半分に切ってくださいました。
半分になったフリースを受け取って、どうするの、この半分。この半分を見る度に悲しくなるじゃない、捨てることも出来ないし…
と複雑な思いでいたら
まうさんが「ふゆぅとたーちゃんと半分ずつじゃん?」と言ってくれて、あ、そうか、と気持ちがすーっと楽になった。

たーちゃんを祭壇に安置して、一通りお祈りをしてから
たーの身体を火葬する為の車に移した。

あのね、実はね、たーが死んでしまって
たーの亡骸を目の前にしても、どこかで少し「これはたーじゃない」という気持ちがあった。
この身体は、たーのお洋服みたいな物。たーの魂はもうこの中に無いから。

私ってへんちくりんでね。
小さな頃から、「その人ってなんだろう?」とよく考えていたんだ。
何を持って「その人」っていうのかな、って。
頭・身体・腕・足・髪の毛…それぞれのパーツは
「○○さんの頭」とか「腕」とか「顔」でしかないわけだよね。
両足が付け根から無くたってその人だよね。じゃ、どれだけパーツがくっついているか?
いやいや、首がなかったらもうその人の身体でしかない。じゃ、頭がその人なの?いやいや、それも違う。
じゃ、何をもって“その人”なのかな、って子どもなりに考えたた時
やっぱり心・魂なんだよな、生きて心と魂がある事が、その人なんだな、と気がついたの。
うまく説明できないけど…例えばこのたーの身体に、他のワンコの魂が宿ったとしたら
やっぱりそれはたーじゃないんだよね。

だから、たーが死んでしまって
たーの肉体を愛おしく撫でてもね、たーでは無くなったこの身体だけを
ずっと私のそばに置いておきたいとは思わなかったんだ。
私がそばにいて欲しいのは、たー自身だから。
だから、たーがいなくなってしまったのなら
この身体がどんどん醜く(ひどい言い方だけど)なってしまう前に
お空に返したかった。冷たいのかも知れないけど。

私は小さな頃から色々な動物を飼ってきて
当然色々な動物の死と直面してきた。もちろんすべてを覚えているわけではないけど。
それで学んだのが、魂が抜けた身体は、秒単位で変化していくんだということ。
いちばん感じたのが、前住猫へちゃの遺体だった。
へちゃは死んでしまった時と同じように、身体を横たえて置いておいたので
冷たく固まった時、下になった部分が、まるで板のようにぺっちゃんこになっていたの。
お顔までもがぺっちゃんこになっていて、それが可哀想で悲しくて仕方がなかった。
たーはそうならないように、たーが良くしていたスフィンクスのように座った姿で
そろえた前足の上に頭を乗せて身体を安置した。
それでもやはり生きている時とは違うから…
少しでもたーが可愛いうちに、早く肉体を神様に返したかったんだ。

たーの身体を炉に入れ、頭にひとつキスをしてから身を引くと
業者さんが「毛は切らなくていいですか?」とおっしゃいました。
「いや、この子は絶対切られるのいやがると思うから、切らなくていいです。毛なら、
うちに帰ればいっぱいあっちこちにくっついているから」
と返事をしました。
そして、戸を閉めようとした時…
ぎゅぅっと胸が締め付けられて、「もう1回だけ良いですか」ととっさに口を突いて出てしまいました。
「ゆっくりお別れして下さい」と業者さんがおっしゃいました。
最後にもう1度だけ、たーの身体に頬を寄せて沢山キスしました。
“これはたーの洋服みたいな物”と思いながら、やっぱり愛おしいたーの身体を
もう2度と触ることが出来なくなる事は、とてつもなく辛いことでした。

扉を閉め、二時間後だったかにもう一度いらしてください、とのことでした。
皆さんでお骨を拾っていただきます。と。
「それ、いやだなぁ、辛すぎだなぁ…」と思わず言ってしまったら、業者さん、困った顔をなさっていました。

数時間後、もとの場所に戻り中に入ると、たーの骨が並んでいました。
業者さんが、こっちから頭・背骨・前足・後ろ足………と説明して下さいました。
涙も出ず、案外冷静にそれを聞くことができました。
骨は白かったのだけれど、背骨が一部黒く焼け焦げていて、業者さんが「ここが病巣だったんでしょうね」とおっしゃいました。
足先を見たら、爪がきれいに残っていました。
たーは私の膝に乗るのが大好きで、私はたーを膝に乗せてくつろいでいた時
よくたーの爪をいじっていました。
たーもそれが気持ちよいのか、じっといじらせていました。
確かに、これはあの可愛い愛しいたーの爪だ。
「爪は灰にならなかったんだね。」と爪を手のひらに乗せたら、涙が溢れました。
すると業者さんが「お持ちになりますか?ストラップ型のカプセルとかありますよ」とおっしゃったので…
身体の一部だけを持ち歩くなんて事をしても良いのか
すごく迷ったけれど、結局カプセルを購入して爪とほんのちょっとの骨を入れて貰いました。

たーの骨は片手で持てるほどのちいさな白い陶器の器に収まりました。
ピンクの薄い紙製の布に包まれたあと、トッピングにと可愛らしい色の造花を選ばせて下さいました。
それと革製のネームプレート。普段呼んでいたように、たーたんかたーちゃんと書くか、
本名のサラと書くか迷っていると「二つどうぞ」と2つ下さいました。
そしてまうさんが「たーたん」名付け親のタクが「サラ」と書きました。

Dsc_0924
《「サラ」「たーたん」両方書きました。》

(業者さんね、とっても良かったです。とても親切で、良かったです)

うちに連れ帰り、
骨壺は、たーが病気になるまで着ていたお気に入りの洋服を着せ、ピンクガウンでくるみました。
そしてへちゃのお骨と一緒に、一緒に火葬することの叶わなかった例のまうさんが買ってくれた白いベッドに納めました。

Dsc_0926
《たーちゃんの祭壇。ごっちゃごちゃ。
お気に入りのぬいぐるみがいっしょだからね。》

Dsc_0925_2
《じつは、たーちゃんの写真はずっと飾れずにいたんだけど…
一周忌にあたり、飾ろうかな、写真立て買おうかな、と考えていたら
Cさんが一周忌に合わせて送ってくださった。なんで解ったんだろ?!?!どっかで聞いてた??とおどろいた(笑)。
写真立てには、私の1番お気に入りの写真を入れました。
私を見つめているたーちゃんの写真。このとき、わたしもたーをみつめていました》

その日の夜、夕食を作る元気がなかったので
「今日は外食して、たーちゃんに献杯しよう」とみんなを誘って食事に出ました。
本当のことを言えば、どこにも行かず食事もしないで家に籠もって飲んだくれていたかったけれど
すんみぃ(父)を心配させたくなかったのです。

すんみぃは、たーたんが我が家にくるまで動物を飼うことをものすごくいやがっていました。
もともと動物が好きではないという事もあるけれど、いちばんの理由は
死んだ時に私が嘆き悲しむのを見たくないから、ということだったと思います
小学生の時飼っていたダックスフントが交通事故で死んだ時は、もう2年間くらい泣いていたり
へちゃが死んだ時も、しばらくの間解りやすく落ち込んでいたので、それをまた見たくなかったのでしょう。
いくつになっても娘は娘ですからね(^_^;)

すんみぃは、登校拒否していたタクの為にたーちゃんを迎え入れることにはむしろ積極的だったけれど、
私がたーたんを可愛がる度「おまえ、へちゃ(たーたんのこと)が死んでも絶対悲しむなよ。俺はそれがいやなんだよ」と
何度も何度も言っていました。
だから私は無理して、すんみぃに「心配ないよ」と気丈に振る舞いました。
お酒を飲みながら、皆で「大変だったね」という話しをしたんだと思います。

この日を最後に、同居している、すんみぃ、私、タクは
くくるんが我が家に来るまでの何ヶ月もの間、不自然なくらいたーちゃんの話しを全くしませんでした。
みんなそれぞれ、思い出すことが辛かったんだと思います。

翌日、月曜日。仕事に出ました。
同僚には迷惑を掛けてしまって申し訳なかった。
気遣ってくれる人、何も言わない人、色々だったな。
仕事をしている時は気が紛れるのだけれど、帰路につく道々が辛かった。
家に着くと自転車を庭に停めながらベランダを見上げるクセがついていて、いつもつい見上げてしまって
たーがベランダにいないこと、玄関を開けてもたーがクンクン言わないこと
階段まで行ってもたーが二階の踊り場に居ないこと。たーがいないことを思い出してはどん底に突き落とされる思いがした
…それが毎日何度も何度も。
家族と過ごしている時は、勤務中同様気が紛れるし、たーの話しを一切しないから大丈夫…
でも一人で居ると、もうどうして良いか解らないのです。
そして、ネットにふけるわけです…何かを求めて。
でね。とある時。とある女性専用掲示板で
私がたーのことを投稿した記事で、一緒に泣いてくれた方のわんこが亡くなったと知りました。
一気に胸が苦しくなって…私には何も出来ないのに(自分さえ救えないんだから)個人的なメッセージを送っていました。
それからCさんとのやりとりが始まりました。

たーが死んで、1ヶ月、2ヶ月…3ヶ月と経つと、周りはもう私が立ち直ったと思うようでした。
そろそろ新しい子迎えないの?とか、保護犬などを勧めてくる人も何人もいました。
そりゃ、笑うこともあるし、普通の生活をしているけれど
なかなかたーのいなくなった生活にはなれなくて、どれだけたーに依存しているのかを思い知ったんだけどね。
日が経つにつれ、未だに落ち込んでいるということを表に出しづらくなってきた。
それは家族に対しても同じだったの。
そんなとき、まうさん意外にはCさんだけが私の気持ちを解ってくれたし
弱音を吐くことができました。Cさんの「私も同じ気持ちだから、辛くなったらいつでも話して」という言葉にどれだけ気持ちが楽に

なったかしれません。
これはCさんの大切なちぃちゃんと私の大切なたーちゃんが
彼女たちがいなくなっても私達が頑張って生活していけるために用意してくれた出会いなんだな、と
感謝しました。Cさんとのやりとりがあったから…

と、くくるんとの出会いに続いていくわけです。

H28年5月1日。

たーがいなくなって1年と2ヶ月半。。
これまで、たーを懐かしく思い出だすことが何しろ辛かった。
たーが、どんどん思い出になってしまうことで
私の目の前からだけでなく、心の中からもいなくなってしまうような気がしていたんだと思う。
でもね、決してたーが私の中からいなくなることはないと思えるようになった。
リアルに思い出すことができなくなっても、それはそれでいいんだ、とやっと思えるようになってきたよ。
だからたーを懐かしく思い出しても、以前のようなただただ苦しい気持ちとはちょっと違ってきました。
そんな風に考えるようになったのは、くくるんが私達のところにきてくれて
くくるんが、どんどんどんどん私達を好きになってくれて
どんどん私達家族の一員になってきたことも大きいんだと思います。

もともとは、たーの闘病記、たーの生きた証を残すつもりで始めたこのブログ。
ずいぶん時間が掛かってしまったけれど、たーちゃんのことをきちんと書き記したことで
私の気持ちも整理がついた気がします。
それでもね、たまに
くくるんと楽しく過ごしている時に「なぜこの楽しい嬉しい瞬間に、たーも一緒にいないのかな」と
悲しくなることもあるんだけどね。

輪廻転生
くくるんはたーかもしれないし、へちゃかもしれない
たーはへちゃだったかもしれない、ジローだったかもしれない。ちびだったかもしれない。うりちゃんなのかも
どりちゃんだったかも…えびちゅなのかも、ごんたかもしれないし、ぺるちゃんかも、まうちゃんだったかもしれない、どるちゃんか

も、びびなのかもしれない、ちゅんちゅんなのかもしれない、タマかもしれない、シロかも、うさこかも。
面白がって、同僚とそんな事を話していたら
同僚曰く「ってか、うちの息子って昔すごく可愛がっていた猫かも(笑)彼を見ているとそんな気がしてならんよ」なんて
半分まじめに言ってたよ。
わたしたちのところにやってくる魂って、絶対決まってるから
だから
いま私達と一緒にいてくれる、くくるんが抱えた魂と一日一日を大切に生きていかないとな、と思っています。。
わけわからんね(笑)。別にね私、スピリチュアルな人ではないんだけどね。
つきつめて、つきつめて行き着いた正直な気持ちなんだなー。

というわけで、今後もふゆぅと


くくるんをよろしくお願いします。

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それにしても、このお嬢さん。やっぱり座り方がへんでしょ

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コメント

また泣きながら、何度も読み返して、
思い出して泣いて
コメント書こうとして途中で止めて…を繰り返して。

あの時お互いにどうやって生きていたのかわからなかったよね。
普通に仕事して普通に日常を送ってはいたはずだけど
よく覚えていないの。
娘がオーストラリアだったのいいことに、オットと2人毎日子どものように泣きました。
突然襲ってくる悲しみに耐えきれなくて
運転中も何度も車を止めて泣いた。

娘も『あの頃の記憶が薄い』といいます。

この2月17日には、本当に久しぶりにまた泣いたけれど
そばにいるあんちゃんが不思議そうに見てた。
あんちゃんの犬育ては、ちいちゃんにくらべると本当に本当に(笑)大変だけど、
今あんちゃんがそばにいる幸せは何にも代え難いです、

うちにあんちゃんがいて、ふゆぅさんちにくくるんがいる。
お互いにブログを見て想像して、いつか会いたいねって話してる。
ああ、幸せだなって(⌒▽⌒)きっとたーちゃんもちいちゃんも笑ってるよね!

きっと、ちぃちゃんとたーちゃんは似た物同士、なかよく元気に走り回ってるとおもうの。
私も、沢山沢山泣いたけれど、
この頃はこの部屋にたーちゃんがいたときのことを思い出すのが困難になってきたよ。
私が泣くとね、あんちゃんと同じく、くくるんが不思議そうにやってくる(笑)。
でも泣くことよりも、笑うことの方が増えたから、幸せだよね。
今年、くくるんは色々と練習をかさねて、来年はあんちゃんとchocoさんご家族に会いに参りますっ!

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